プロフィール
沖縄県大宜味村で陶芸工房を営んでいます。↓蛍窯HPもご覧ください!
ウェブサイトURL:http://www.yamagami-manabu.com/
(移転・リニューアルしました)

2004年12月06日

小さな部落一丸となって大盛り上がり・・・豊年祭

夏から10月頃にかけて、各地で「豊年祭」なるものが開催されます。豊作を願うとともに、収穫を授けてくださる神様に感謝をささげる行事だそうで、劇や踊りなど本格的な出し物が、色々な部落で催されます。

われわれの住む大宜味村田嘉里は、区民200人くらいの小さな部落ですが、今年は2年に一度の豊年祭が10月2日に催されました。田嘉里では踊りの演目が何種類かあり、8月からそのための練習が始まりました。家の前にある公民館で、8月は週3回、9月は毎晩、夜8時から10時まで練習です。何せ目の前なので、毎晩賑やかというか騒がしく、出演者の親についてなぜか小さい子達も毎晩遅くまで一緒に来ていて、K(「3日目にさっそく近所のわんぱくKが遊びにくる・・・超ど級のわんぱくだった」参照)もお父さんについて来るので夜9時ごろ遊びに来てしまったり、うちの子供たちも公民館に行きたがるを制するのもたいへんだったりと、困った事もありましたが、豊年祭に向けての部落を上げての意気込みが伝わってくるので、当日を迎えたときは、わたしも「いよいよ」と、参加者の一人のような気構えになっていました。

さて、10月2日朝。「手が空いている人は会場設置や炊き出しを手伝って」という部落内放送があったときには、これで参加できる、と嬉しくなり、喜び勇んで微力ながら野菜の皮むきなどを手伝いました。出演者は朝からメイクです。子供たちも、部落の特別な日、という雰囲気を感じているようで、うきうきしています。

午後3時ごろから「道ジュネー」というのがはじまりました。これが今日一番のヒットでした(踊りは子供やおしゃべりに気を取られ、実はあまり真剣に見られませんでした。出演者の方々ごめんなさい)。舞台の出演者全員が行列になって、太鼓を叩きながら山の上から降りてきて部落内を練り歩く儀式なのですが、住人は家の前で、男性は女装、女性は仮装をして行列を迎えるのです。おじいやおばあが率先して、派手な着物やかつらやお面で仮装をして、盛り上がっています。そして太鼓を叩いてひと踊りしてお出迎えし、行列に加わります。

まさに住民総出で部落内を練り歩き、着飾り、踊り、楽しむ。こんな小さな部落でこのパワー。すごいです。

行列が終わるころ、続々と人が集まり始めます。「郷友会」といって田嘉里出身でほかの土地へ行っている人たちで作っている会のメンバー、こんな会があること自体すばらしいと思うのですが、この方たちをはじめ、そのほか一族郎党、隣部落の人など。部落の内輪のイベントと呼ぶには大規模すぎるほどたくさんの人が集まりました。

そして暗くなったころ、メインイベントの踊りです。2ヶ月の特訓の成果が披露され、皆で鑑賞し、後片付けをして、長い一日の終わりです。お役目が終わってほっとした出演者の人たちの夜は、打ち上げでさらに長くなったようです。

とても楽しく、沖縄パワーに改めて驚いた一日でした。こういうことが、われわれが住む部落が特別ということではなく、特に田舎では各地で行われている、というのですから、民間信仰が生活に根付いているさま、そして、これらの行事こなす人々のノリのよさに、東京生まれ・東京育ちのわたしは驚きあきれ、興奮しました。

高校や大学、社会人時代は仲間内などで、皆で一緒に何かをして盛り上がる事はありましたが、そのグループはいずれも、狭い年齢層、似通った嗜好など、いくつもの共通点がある、基本的には自分が選択した、ある意味で同質な人間の集まりでした。ですので、偶然生まれついた土地、という共通項だけでくくられた老若男女の集団が、これだけ団結し、盛り上がる、ということは、自分の理解の範疇を完全に越えていて、そういう意味で今日という日は、未知だった概念に出会えた、記念すべき日となりました。

ついでにいうと、ここの部落には「田嘉里の歴史」という立派な部落史の本が存在します。実際に田嘉里の成り立ちや、昔活躍した人の民話はわたしもすでに何度か耳にしたことがあり、人々の口でわりと頻繁に語られているという印象です。歴史や言い伝えを大切にする、すごい部落だ!とまたまた感激したのですが、実はどこの部落にも立派な部落史があり、成り立ちの民話が浸透しているというのですから、やっぱり沖縄は違います。

しかし、沖縄でも都会ではこのような習慣は薄れており、またこの辺りでも若い人たちがどれだけ継承するか、いつまで残るかは時間の問題なのかな、という予感もします。

東京生まれで、信仰心のほとんどない環境で育った自分からすると、こういうことを大切にすることはいいことだ、うらやましい、と心底思いますし、沖縄に繰り返しやってくる人たちは同じ理由で沖縄に惹かれているのだと思います。けれど、豊かだけど忙しく、合理的な世の中になり、情報も氾濫すると、伝統や信仰などはわずらわしいから、という、都会がずいぶん昔にたどった道をたどる可能性は大いにありそうです。それに危機感を覚え、地域性を保とうとする取り組みがあちらこちらでなされているのには感心してしまいます。当事者には良さが見えにくいのだ、などと無責任な部外者が言う立場にありませんが、ぜひともこのすばらしい郷土色を残して欲しいものです。

2004年11月01日

家の周辺の「怖い」生き物パート2・・・ネズミ

今この文章を書いているときも、背後の台所でネズミが何か悪さをしているのではとちょっとした物音にも神経を尖らせ、気が気ではありません。

恐れていたネズミがこの古い木造の侵入口だらけの家に入り込み、徐々にテリトリーを拡げてきているのです!

ネズミといえば、東京に住んでいたころ勤めていた東銀座のオフィス近くの食堂で厨房を走っていたぶくぶくのドブネズミ、地下鉄の線路脇を走っていた同じくぶくぶくのドブネズミ、旅行中の沖縄・竹富島の民宿で深夜「バリバリッ、バリバリッ」と自分が買っておいたサーターアンダギーをセロファンケースの上からかじる音――この時は隣の部屋の宿泊客(中年のカメラマン)の奇態か?と疑いました――、茂木時代家に2度ちっちゃいのが入り込んできて引き出しの中などけっこう悪さをされたこと、リアルの体験といえばこれくらいです。

この家の先代の借主と先々代の借主が参加していた会合で、先々代はネズミにずいぶん悩まされた、先代は3回しか見ていない、どう?ときかれ、まだいないみたいです、と答えたその次の日に初めてネズミを目撃しました。聞いていたのか?

はじめは遠慮がちだったネズミもどんどんずうずうしくなって目の前をさあーっと駆け抜けていくようになりました。わなを仕掛けても、何度か失敗したり、4匹捕獲してからもまだ天井裏でかさこそ音がしたり、かなり神経が磨り減ります。石鹸はすごい勢いでかじる、発酵中のパンを食べる、いただいたばかりの差し入れのオムレツを食べる、などなど、実害も続出。怒りと気持ち悪さは日に日に増殖していきます。最初は台所周辺をあさっていましたが、のちに生活スペースにも進出してきて、引き出しやおもちゃ箱の中身をかじられました。そして押入れの羽根布団に大量のフンを発見したときには泣きそうになってしまいました。でもどうやら相手は押入れの中は気づかれていないと思っている様子なので、すぐネズミ捕りを仕掛けると、即つかまりました。

ネズミを捕獲できたときは、してやったりという達成感と、それを片付けなければといういやーな気持ちがミックスし、どうもすっきりしません。(ネズミシートを片付ける作業はどうしても私には出来ず、山上にやってもらっています。染色の勉強で沖縄に来ている女の子などはこういう古い家に一人で住んで、ゴキブリやネズミと一人で格闘しているので、そういう話を聞くと、たくましくならなければ、と思うのですが・・・)それでもいつもお風呂場でされていたフンがなくなったため、一番の古株だったのではと推測。何度か失敗しているのでこいつを取ったのは大きい、と少し喜ぶ。でも翌日掃除していたら、近辺にネズミ捕りシートの粘着材が付着しており、別のネズミもいて、逃げたのではないかと、愕然とする・・・。インターネットで調べると、捕獲が非常に難しい種類もいて、都会でも大きな問題になっているらしい、ということもわかり、さらにブルーに。そして案の定、しばらくすると別のネズミの形跡が・・・。

屋根裏を走り回る音は、屋根が薄っぺらなものでとても大きく、不快です。生ごみの処理には気を使いますし、不潔な感じがするし、わなも、処理がいやなので、毎朝かかっていて欲しいような欲しくないような心境で・・・疲れます。

とにかく毎日頭の中がネズミの事でいっぱい!アジアのどこかの家の写真が目に入ってきたら、「すき間だらけでねずみがいっぱいいそう」と思ってしまったり、子供に読んでやる絵本でもやたらとネズミが目についたり、子供が昔かじったカルタをみても、もしやここまでネズミが・・・と一瞬ひるんでしまったり、なんでもネズミに結び付けたくなってしまいます。

猫を飼うといなくなくなるそうなので、あまりいて欲しくない猫をあずけてもいいという人から強引に借りてきましたがすぐにいなくなってしまいました。その時は効果抜群でしたが・・・やる事なす事うまくいかない!とまたイライラが募り・・・

猫がいなくなった日に、近所の似たような家に住んでいる人に事情を話したら、「うちは猫がいるけどねずみいっぱいいるー。」ええー!これは大ショックでした。子猫をもらう事になっているのに・・・。「食パンとか粉とかしょっちゅうやられて、ネズミ捕りシートで取ったと思ったらまたすぐ入ってきて。古い家で穴だらけだからさあー。」私が絶句していると、「そのうち慣れるさ」と。慣れることがあるなんて信じられませんでしたが、そうか、慣れるのか、慣れればいいのか、と新しい考え方にずいぶん救われた事も確かでした。



毎日ネズミに関する新事実が。ここのところ3日連続で4匹捕獲。猫を借りてきたのが功を奏して、一日ネズミが出てこられなかったようでおなかをすかせていたらしく、いつもよりなりふりかまわずゴミ箱でバリバリやっている音が聞こえたので「こらー!!!」と脅かすと、いつもはかからなかった粘着シートにかかったのです!大きいやつでした。その日以来被害が減ったので、こいつもかなりの古株だったはず。それでもなぜか次の日もその次の日も面白いようにかかりました。

そんなこんなで、ちょっとネズミの扱いもわかった気になって気分が楽になり、人に逢うたびに「ネズミが・・・」なんていっていたら、ある人が、「ねずみは捕り逃したらだめなのよ。捕り逃したら、自分を仕掛けようとしていた人のにおいをかぎ分けて、その人に復讐するんだから。たんすの裏から穴を開けて、一番上等な服の目立つところをかじったり汚したりするんだから。(布団をやられたといったら)ふとんならまだいいさー、私なんてねえ、上等な服を二回もやられてさ、云々かんぬん、賢いよーねずみは。たんすの裏、調べてごらん」なんて、新情報をもらってしまいました。怖くてまだ調べていません・・・

そして2,3日はネズミもかからない日が続き、とりあえず落ち着いたかな、と思ったら、ヤモリと間違うような小さなネズミを発見。でも何だか様子が変なのです。小さいだけでなくとてもドンくさく、音にもあまり反応しません。どうやら新生児みたいなのです!これなら取れそう、と思い、どうにか閉じ込めるとまた一匹出てきた、新生児が!こっちはえび取り網で捕獲し、私しか家にいなかったので外に持っていくと、近所の小学生が「かわいい!飼う!」とさすっています。「もう一匹家にいて閉じ込めてるんだけど」というと「それも取る!」というので、家に連れてきて取ってもらいました。確かに目も開いてない新生児で、動きも不自由だしかわいいのです。でも私にとってはネズミの子はネズミ。もらってくれるなんてラッキー、早く家に持って帰って!と思っていたら、その子のお父さんが通りかかって「絶対だめ」とのこと。そりゃそーですよね・・・。仕方なくあとで山上に頼んで捨ててきてもらいましたが・・・ねずみは一度に10匹くらい子供を産むはずなのであと8匹くらい新生児がいるはずと思うと、ネズミから立ち直りかけていた気持ちがまたなえそうになるのでした。でもしばらくたった今も赤ちゃんは見ていないので、屋根裏で何かが起こっていなくなったと考える事にしました。



子供の物語には、それはそれはたくさんのネズミが登場します。ミッキーマウスにぐりとぐら、14匹のネズミシリーズ・・・半分以上ネズミが主人公なのでは?うっまたネズミ・・・と思いながら読み聞かせています。子供のこういったお話を作った人はネズミが好きなのかしら?台所を荒らされたことが無いのか?単にかわいいキャラクターとして登場する事もあれば、ネズミを邪魔者扱いする人間を戒める話もあります。主人公のネズミの言葉を、子供は理解できるけど大人は出来ない、なんていうのもありました。躍起になってネズミを取ろうとしたり、ネズミを怖がったり嫌ったりする自分はひょっとして何か大切な事を忘れてしまっている・・・?などと考え、本屋さんでもついつい「ハツカネズミと人間」(スタインベック)という小説に手が伸びてしまったりして、なかなか思考がネズミから離れてくれません。(面白い小説でしたが、私が求めている答えは見出せませんでした)

山上の実家に話すと「ネズミなんてなんやえらい懐かしいかんじやねー」「ネズミがまだいるなんてある意味環境がいいんじゃない、ここらじゃいないんだから」とのこと。他の、親の世代の方たちにも何人か聞いてみますと、都会でもだいたいどの家でも昔は屋根裏を走り回っていたらしく、ある程度共存していたようです。





―ついにネズミを処理する―

書いても書いてもネズミに関する新しい出来事が起こるので、読み返してみてもわれながらしつこい、と思うほど長くなってしまいました。

ある朝、ネズミが粘着シートにかかっていました。山上は朝早く仕事場に行っていていません。ねずみは生きていてちゅうちゅう言っています。その横で朝ごはんを作るのは耐えられなかったので、意を決して粘着シートを取り上げ水の中へ浸けました。窒息死させるためです。前の日にまた性懲りもなくネズミの話を持ちかけた相手が、粘着シートにかかってもネズミはどうにかして逃げ出すことがあるから息の根を止めないといけないんだって、と言うのです。こうして私も一皮向けました。



さてその後何匹か捕獲した後、ネズミの侵入穴と思われる場所を数箇所山上にふさいでもらいました。そして阪神の展示会(10月21〜27)終了後、子猫を2匹もらってきました。これで猫たちが大きくなればネズミ騒動もひとまず終焉を迎える・・・はず?



こう思ったり書いたり話したりするとまたチューっとでてくるのでしょうが。



案の定、これを書いた朝も、ネズミの痕跡を発見してしまいました。きりがないので、ネズミの項はここでいったん終わりにします。

副産物の子猫たちは、とってもかわいいです!早く大きくならないで欲しいような、大きくなってネズミを取って欲しいような・・・。

2004年09月26日

マイコプラズマ肺炎で子供二人入院

台風18号の前から子供が二人とも強い咳の風邪、わたしもかなり咳をしていました。子供の熱は最初高熱だったもののその後しばらく微熱程度でしたので、もう治るかなと思っていたら、台風が去ってから長男が4日連続39度の熱を出し、これはさすがにおかしいと医者に行くと、二人とも「肺炎」との診断。兄弟でかかっているのでおそらく人から人へうつる「マイコプラズマ肺炎」だろうとのこと。レントゲンで肺の影が濃く、酸素濃度が足りない(空気中の酸素を充分に取り込めていない)ので即入院となってしまいました!私も症状は軽いけれどかかっている可能性大とのことでした。

2週間ほど前に山上がゲホゲホやっていたのでおそらくそれがうつったのだと思うのですが、家族全員でかかるとは!

ちなみに入院の4日前、長男がかなりだるそうにしていたので、肺炎と診断されたのとは別の医者へ行ったところ、「風邪」という診断。「本で見たマイコプラズマというのではないかと思うのですが、3人とも咳をしているし」というと、「ずいぶん勉強してるようですね。本は読みすぎない方がいいですよ、抜けてる事が多いから。」と、とりあってくれませんでした。「検査結果は一ヶ月くらいかかりますけど、それでもよければ検査しますか」といわれ、「それなら結果が出るまでに治ってしまいますね」といったら「そういうこともあります」というような返事。そのときは「マイコプラズマというのはまれにしかない病気で、かかってもたいしたことないのかなー」と納得してしまいました。

(私は病院と薬を極力避けたいので、子供に何かあると、医者に行く必要があるかどうかの参考に小児科のお医者さんの本を読むのですが、「マイコプラズマ肺炎」は一つの項目になっていて、「咳があって、最初に高熱が出てから1週間くらい微熱が続き、治ったかなと思ったらまた高い熱が出る、というときはマイコプラズマ肺炎にかかっている可能性がある」といった内容だったので、もしや・・・と思い、質問しました。「ずいぶん勉強している」というほどのことはしていないと思うのです。人のことはいいから自分がもっと勉強したら、といいたい。検査も、病院では週末をはさんで3日で結果が出ました)

4日連続で高熱が出たときは、「肺炎」という発想は頭から消えていましたし、「肺炎」と診断されてからも、本にはマイコプラズマ肺炎にはよく効く抗生物質があるので深刻な病気ではない、というニュアンスで書いてあったので、入院ときいてびっくりしました。

全部で5泊、ずっと付き添いましたが、子供たちも特に病院を嫌がりもせず、長男は点滴と酸素チューブ、次男は酸素チューブのみをつけた痛々しいいでたちで、入院生活を過ごしました。二人並んでチューブをつけている姿を健気に思ったので「カメラ持ってきて」と山上に頼んだら、絶句していました。「治る病気」と思い込んでいたので自分としてはあまり深刻にとらえておらず、夫や実家の母の反応と比べても「自分て冷血漢?」と思わなくも無いのですが・・・。入院生活も、ベッドに縛り付けられている子供をなだめたり狭いベッドに子供と並んで寝たりと大変な面もありましたが、家事は一切しなくていいのでけっこう快適、などと感じてしまい、周囲が考えるほど大変ではありませんでした。騒がしい日々に慣れきっている家に一人残された山上のほうが、台風もすんで荷物も運び込み、仕事がさあこれから、という矢先に、しーんとした家で洗濯をさせられ、往復1時間の道を毎日通わなくてはならず、大変だったと思います。

5日目には酸素濃度も上がり、退院許可が出ました。途中から大人の方2名が同室になりましたが、子供の騒ぐ声よりも私の怒る声の方が不快だろうなあと思いながら、食事の時間は怒ってばかりでした。いまになってみるとうそのようにもりもり食べていますが、入院中は食欲が無く、食べさせるのに苦労しました。食べる量を聞かれたり、尿の量を記録したりするので、なんだか躍起になってしまったような気がします。思えば病院というところはすべて数値にがんじがらめにされ、窮屈な気分にさせられます。

何はともあれ、元気になってよかったです。

そして台風や入院で大幅に遅れてしまった仕事に、ようやく入れそうです。

ご迷惑をお掛けしてしまった方々、本当に申し訳ございません!

2004年09月06日

台風18号 9月5日、沖縄本島直撃!

18号以前も何度か沖縄へ接近し、よく「大丈夫?」と聞かれましたが、宮古や石垣を荒らしまわって大きな被害をもたらしたものの、本島では強い風と高波程度で雨もほとんど降りませんでした。沖縄と宮古は400キロくらい離れているので、一口に「沖縄に台風接近」といっても影響が大分異なる、ということをこちらに来て初めて知りました。

さて、18号直撃の前日は仕事場建設の大詰め。ドアをあと一箇所はめるだけというところでした。翌5日には那覇に預けてある窯や粘土その他のたくさんの荷物をすべて運び込む予定になっていました。4日夕方には台風が接近しており風も強くなっていましたが、地元の人たちは今までの台風のようにたいした影響は無いだろう、という構え。ドアが開いているので荷物を運び込んでびしょぬれになったら大変なので、大丈夫かと聞くと、大丈夫大丈夫、という答え。でも心配なので念のためもう一度電話してみても、建設会社の社長は笑って「大丈夫大丈夫」。沖縄の人が言うことだし、じゃあ大丈夫なのか、と私たちも一応納得しました。報道も、今回も大丈夫、というニュアンスでした。

ところが夜中、突然今まで体験した事無いほどの、ガラスが割れそうな勢いの風が吹いてきました。雨も叩きつけられています。この家は木造の古い家なので風雨の音響効果は抜群です。「えっ?話が違うっ!」と思いながら、数箇所の雨戸を戸締りしました。

そして朝起きてラジオを聞いてみると「復帰後最も風が強い」台風などという表現が使われ始めているではありませんか!どうやら夜中に進路が急にキュッと変わったらしいのです。
沖縄の人たちもこれには大慌て。昨夕の社長がずぶぬれになって荷物搬入中止の確認をしに家に来ました。

近くの友人が電話をくれ、「停電になるだろうから冷蔵庫を開けなくてすむように食べ物の対策をして置くように」などのアドバイスをしてくれたので、慌ててカレーを作りました。これは非常にありがたい助言でした。

ラジオにかじりつきながら(今はテレビなしの生活)、水を汲み置きしたり、雨戸を固定したり。固定しないとがたがたとてもうるさいく、迫力満点なのです。ところが雨戸を閉めると風が間にたまって内側のガラス戸がたわんで割れそうになっている・・・少しガラス戸を開けます。

何件か本島在住の方からお見舞いの電話もいただきました。「来て早々こんな大きな台風でたいへんですね」という方もいれば、「でもさ、不謹慎だけどなんかわくわくしない?」という人も。夕方には停電も加わり、私もなぜか少しわくわくしてきました。家に閉じ込められて、すさまじい風の音、明かりはろうそくと懐中電灯、台風の中心は刻一刻と近づいてくる・・・

ドンドンドン「山上さん、大丈夫ですか!山上さーん!」あけてみると、区長さんがずぶぬれになって立っていらっしゃいました。「公民館はいつでも開いているので何かあったら避難してもいいですからね」私たちが初めての台風でしかも木造の古い家なので心配して見に来てくださったんです。外にあるトイレに行くのもとても大変なのに、わざわざ来てくださって・・・大感激でした。

雨漏りもし始めていたし、道に水が多量に流れていたし、避難した方がいいのかどうしようか、と話していたところだったので、背中を押されるように避難する事を決定。ろうそくの火で夕食のカレーを食べてから、向かいの公民館へ移動し、夜を過ごしました。コンクリートの建物なので、音が静かなのにびっくり。安心して眠る事ができました。懐中電灯の明かりで本もまるまる一冊読んでしまったりして。

翌朝にはもう車が走り始めていて、峠は越えた感じでした。それでも学校や職場はお休みになるほど。停電は昼過ぎまで続きました。停電で一番の問題は冷蔵庫でしたが、幸い中のものは傷んでいませんでした。前日のアドバイスはありがたかったなーと何度思ったことか。

家の方は雨漏りも思ったほどたいした事は無く、とくに被害はありませんでした。幸い部落内でも大きな被害はありませんでしたが、各地でいろいろあったようです。

それにしても、台風のスピードは、沖縄にいる間は遅いらしく、18号も時速10キロとのろのろでした。本土へ行くとぐんとスピードを上げるそうです。沖縄では雨よりもとにかく風の被害が大きいということです。最高風速61メートルを記録した、といっていました。

沖縄の人でもすごいというほどの台風。来て早々でしたがあまり被害も無く体験できてよかったような気がします。

2004年09月02日

行ってきました!りんけんバンド・華氏911・ヘリ墜落現場

・りんけんバンド.

隣村の村祭りに、りんけんバンドが来るというので行ってきました。
無料!車で5分!たいした混雑もなし!
こういうときは、沖縄はいいな〜と思います。

「エイサー」ってご存知でしょうか。

沖縄の旧盆でご先祖様を送ってから若者が家々を練り歩きながら踊るのが由来ですが、最近では全国的にも有名になり県内各地で力を入れているそうで、さまざまな形でさまざまな機会で踊られています。エイサー大会があったり、何かのお祭りのときに地元の青年会が踊ったりと、沖縄の夏には欠かせないものになっているようです。

りんけんバンドといえばノリのいい沖縄風の音楽とすごい声をした女性ボーカル、と思っていましたが、ステージでは大胆なエイサーを踊るのも特徴だったと、今回見て初めて知りました。体の動きが大きくて、速くて、ほれぼれしました!

りんけんバンドの前には、平敷屋エイサーという、こちらは伝統的な踊りで有名なエイサーがあり、見ごたえ充分。平敷屋の方は、大人数で一糸乱れぬ踊りと歌と演奏で、動きは静かで顔もまじめ。りんけんバンドと対照的でした。踊り手が平敷屋という地域の青年会ということで、趣味で集まった人たちというわけではないのだと思うのですが、それでこれだけ完成度の高いものを踊るのですから、沖縄は芸能の地盤が違う!と感じました。

この時期はあちこちでエイサーだの豊年祭の踊りだのハーリーだの闘牛だの、とにかくイベントには事欠きません。ひとつの県でこんなにいろいろあって、やっぱりすごいです。

ライブでは、盛り上がって皆で踊る雰囲気になったときには、若者は意外とおとなしく、前に出てノリノリなのは、おばあ予備軍やおばあたち。
なんのてらいもなく気持ちよさそーに踊っていました。


・華氏911

長男を妊娠中に胎教に悪そうな「マトリックス」を見て以来の映画館。

(「マトリックス」は、以前住んでいた茂木町のショッピングセンター「もぴあ」の2階にあるかわいい映画館というか映写室のようなところで観ました。観客は私たちだけ)

家から1時間半くらいドライブしたところにある「北谷(チャタン)という街にある映画館に行ってみました。シネマコンプレックスというのでしたっけ、ひとつの場所でいくつもの映画を同時上映しているところに足を踏み入れるのも初めて!入るとぷーんと独特の甘いポップコーンのにおいがして、アメリカっぽーい!とちょっと興奮。二人だけで映画を見るなんて、本当に久しぶりで、感慨もひとしおです。

見ごたえのある映画でした。色々な側面からブッシュ/イラク戦争を批判していますが、個人的に印象に残ったのは、派兵されている米兵にまつわる話がたくさん紹介されていることでした。アメリカでは、このようなエピソードは戦意を喪失させるといってあえて放送されないそうです。

ラムズフェルドは辞任しろ、とか、イラクから戻ったがもう二度と行きたくない、行けといわれて拒否したら刑務所行きだが刑務所を選ぶ、などと公然と話す兵士もいました。

派兵されると決まっておびえていたとか、帰ってきてからの苦しみとか、現地で罪のない人を殺したり、殺されたりする恐怖とか、しかもそれが何のためにかわからない、などなど。

沖縄に来てから目にする外国人は、ほとんどが米兵でした。彼らを目にすると、条件反射的に「ブッシュの回し者」とか「レイプ事件の当事者」とかいう白い目で見てしまっていましたが、この一種の差別ともいえるような感情を抱いてしまうことが自分でも気になっていました。

映画を観て、彼ら個々人がブッシュの回し者であるわけではないし、むしろ軍隊というところが経済的に厳しい人たちの狭い選択肢の一つになっている、ということもわかり、一方的な決めつけをしないですむようになりました。批判すべき、憎むべきは、個々の人間ではなく、トップの人間だ、という結論に達しました。事実、在沖米兵もかなりの数がイラクに派遣されています。

ちなみに北谷は、何年か前に暴行事件が頻発した街。テレビの映像で見覚えのある駐車場がありました。北谷は、アメリカっぽい雰囲気を売りにした観光名所で、夜は米兵との出会いスポットになっている街だそうです。米軍を憎みながらもアメリカを売りにせざるを得ない、米軍は嫌いだけど米兵は好き、という沖縄のパラドックスを体現している場所に思えました。

映画館の近くを歩いていてヘリのような音が聞こえましたが、電車や車の音とは全く違う、鋭い爆音で、耳をふさがずにはいられませんでした。周辺の人たちはこんな音と日常的に接しているのか、こんな音に慣れなければいけないのか、驚きでした。

それにしても、映画によるとブッシュ親子は権力と財力を欲しいままにし、まだ足りないようなのですが、すべて手に入れてこの上もっと儲けて(しかも自国民や他国民を犠牲にして)何を買いたいのかな?と、日々、トイレが中にあって水洗だったらいいな、とか、ねずみが入ってこない家に住みたいな、などと願っている自分としては、全く理解不能なのでした。



・米軍ヘリ墜落現場

まずは事故のあった宜野湾市の地図を見てください。MAP 隣接の嘉手納町と北谷町も。ほとんどがアメリカの敷地です。中は軍人の住宅地のようなところまでそれはそれはゆったりとスペースが取られていて、沖縄県民はアメリカの中にお情けで少し場所を与えられて狭いところに密集して住まわされている感じです。

ヘリの現場は、もう生々しさはだいぶ消えていました。生々しいときは米軍に封鎖されていて現場横の道は車で通れなかったそうです。校舎が壊されて焼け焦げている跡と、校舎横の大きな木の幹の一部が炭化して残っている様子から、ヘリの墜落を想像することができました。この跡は残そうということになっているという話も耳にしました。

事故跡がなくて、飛行訓練をしていなければ、ここの住宅地のすぐ裏に米軍の飛行場があってしょっちゅう低空飛行の訓練をして爆音を轟かせている、ということ自体とても想像しにくい、私やあなたが住んでいてもおかしくない、普通の静かな住宅地でした。

2004年08月20日

新聞・・・米軍ヘリ墜落とオリンピック

驚いたことに、沖縄では朝日・読売などの全国紙はリアルタイムで手に入らないそうです(地域にもよるのかな?とにかくうちでは取れません)。週刊誌も発売日が3,4日遅いらしい。そこで沖縄のローカル話題に興味もあったので、8月から沖縄タイムズ紙を取り始めました。地方紙なので当然地域の情報が満載です。普天間基地の辺野古沖移転や、別の干潟の埋め立てなどの反対運動の記事も連日のように載っています。

先日、現在普天間基地がある宜野湾市内の沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落しました。この事件は全国紙でいえば拉致被害者の帰国など号外が出るような特大ニュースとして扱われ、ほとんどの紙面が割かれていました。一週間経った今日でも半分くらいはこの話題です。

ところが全国紙やテレビではオリンピック開会式やナベツネ辞任の次に少し報じられただけだということでした。

記事を読んでいると、近所の人たちが感じた恐怖、現場に警察が立ち入れないことへの憤り、長年市街地の上を轟いている爆音の苦悩などが生々しく伝わってきます。このように、沖縄に暮らしていれば基地関連の情報がたくさん入ってきます。

それでも、私たちが暮らす大宜味村は基地のない村なので、「犠牲」という概念は沖縄内では希薄な方かもしれません。(まだ越してきて1ヶ月なのであくまでも私見ですが)

ましては本土にいては、基地の苦悩を日々想像することはとても難しいことだと思うのです。



近くにJALオクマという、人気の高いリゾートがあります。とてもきれいなビーチです。実はそこは、米軍の保養施設の何分の一かを何年か前に返還してもらってJALがリゾートにしたのだそうです。JALオクマの向こうには何倍もの長さの海岸線が、米軍のためのリゾートとして広がっています。JALオクマは年間13万人も観光客が訪れるそうですが、広々としたの保養施設は何人のアメリカ人に使われているのか、今度調べてようと思います。

ちなみにこの施設には、大宜味村に住んでいる者なら利用できるので、遊びに来てくださった方をぜひご案内したいと思っています。(アメリカのビールも安く買えるらしい)

2004年08月16日

買い物・・・全国チェーンの是非

全国どこにでもあって同じような顔をしているスーパーやコンビニ。沖縄の国道でも幅を利かせています。5月に下見に来たときは、こういう金太郎飴のような店は町並みもつまらなくなるし、どこでも同じようなものが売っていて地域の特色がなくなるので、いかがなものか、と眉をひそめ(ジャスコではアジや秋刀魚など知っている魚しかなく、がっかりしたのです)、沖縄の食材が豊富にあるスーパーに好んで通っていました。

7月に越してきて、最初は初めての食材に夢中。でもそろそろ昔の味が懐かしくなってきたころ。ナンプラーが欲しいなあ、タイカレーのペーストはあるかな、とジャスコに行く。ちょっと探してもない。「なんで!沖縄だとジャスコでもエスニック扱ってないわけ?」と憤る私。しばらくするとエスニックのコーナーを発見。ナンプラーでも数種類おいてあります。やった、さすがジャスコ!と大喜びする私。

偉そうに批評していたのに・・・わがままです。

家の周辺の「怖い」生き物たち

茂木の生き物も、蜘蛛やカマドンマ、へびなど慣れるのに1年くらいかかりましたが、慣れることはできました。ですので、沖縄は虫が平気でないとねーといわれても、何とかなるのでは、と思っていました。しかし・・・いや、きっと何とかなるだろう!


予想外に少ない生き物

茂木の家より少ないのは蛾・クモ(クモの巣)。家には網戸がついていないのでやむなく引き戸を空けておくのですが、蚊は入ってきても蛾はほとんど入ってきません。これは快適。クモの巣のそうじもずいぶん楽です。ヤモリ(虫を食べる)も一役買っているかもしれません。
ダニも、心配した割りに、なぜか今のところ発生していません。湿気はかなり多いのに。


予想どおりの生き物

ヤモリ。
南国に行くと必ずいて、特有の形と鳴き声が好きだったのですが、一緒に住んでみるとところかまわず糞をするのが困り物です。夜になると窓に張り付いて虫を食べまくっています。裏から見るとカワイイ。虫の死骸も食べてくれてるようで、お掃除にも一役買っているみたいです。やっぱりいいやつかも。

ゴキブリ。
覚悟はしていましたが・・・本土のと違って大きくて、茶色で目がわかるデザインで、思わず目が合わないように視線を避けていまう。しょっちゅう飛ぶ。逃げない。台所をうろついており、夜パソコンに向かっていると、背後の台所でかさこそ、かさこそ、かさこそ、と音が・・・夜洗った食器を朝使おうとしたら中に鎮座ましましていたことも・・・こ、怖い!!!


予想以上・予想外の生き物

ムカデ。
すでに5匹ほど。台所のシンクで死んでいたり、シンク下のボウルに入っていたり、クローゼットから飛び出してきたり、パソコンの机の引き出しの中から落ちてきたり。とってもいやです。

蚊。
決まった時間以外はほとんどいないのですが、大きな問題が・・・トイレの汲み取りの便層で沸くのです。夕方になるとトイレと周辺に100匹ぐらい乱舞していることもあり、蚊取り線香を焚いてもそういう状態だったときにはさすがにめげました。ああしたらいい、こうしたらいいと毎日試行錯誤をしていますが決めてはまだなく・・・
虫にもいろいろ役割があるのだから自然の摂理である程度は仕方がない、殺虫剤はやめよう、といっているそばから、トイレに行って便器のふたをあけるとわーっと30匹くらい出てきて、やっぱり全部殺したい!となってしまいます。これもそのうち慣れるらしい。

カニ。
ムカデとかゴキブリとかでどよーんとなっていたときに、お風呂場でカニを発見。道でも良く轢かれているくらいこのあたりをうろついています。

2004年08月10日

3日目にさっそく近所のわんぱくKが遊びにくる・・・超ど級のわんぱくだった

何せ一ヶ月ずっと子供とべったりだったので、子供に関するトピックは必然的に長くなります。

暑いので休み休み荷解きをしていると、男の子が家にやってきました。(すぐにあがりこむ)前日の夕方出会ってちょっと交流した子です。年は長男より半年上で5歳。名前はK。

Kが川に行きたいというので一緒に行くと、丸裸になって、手始めに川に向かっておしっこを勢い良くシャーッ、そしてばっしゃーん。腰ぐらいまでの深さのところですがバシャバシャ泳いでかっぱのよう。びっくりしました。息子二人も憧れのまなざしで見ています。Kは、自転車もすいすい乗りこなすし、力は強いし声は思い切り張り上げるし(大きな声を出しすぎて声帯がやられてしまったらしい)、高いところから飛び降りるしあらゆるところでおしっこ・ウンチはするし。長男が、「あぶ、こわーい」とびくびくしてると、えーい!と素手で殺すし、小さいムカデも「はあっ!!!」と空手の気合で石で打ち殺してました。でもいたずらの度が過ぎることが多々あるし、一番困るのが弱いものいじめ。長男(弱い)と次男を代わる代わるにすごい勢いでいじめるのです。蹴ったりぶったり物を取り上げたり。泣いても攻撃が弱まるどころかの逆に激しさを増します。なお悪いことにうちの子どもたちもいじめられない方がいじめに加担する。それでも、子供たちは強いものにあこがれるのか、遊び方もダイナミックで上手なので、その子と遊びたがるのでした。

保育所を半年休んでいるとのことで、毎日午前午後と来ます。家にいると物がぐちゃぐちゃになったり壊されたりするし、半分くらいの時間はいじめられて子供は泣いているし、それを見ているのも親としてさすがにつらいし、川へ行こうとうるさいし、もうめちゃくちゃ疲れるので、げ、また来た!という感じなのですが、一日来ないとさびしかったり、私たち夫婦の話題の大半がKだったりと、今の時代はめったにいない子供らしい子供で、かなりかわいいやつでもあるのです。

ゲーム好きの長男につきあってカルタやトランプをたまにやると、ひらがなはおろか数も4くらいまでしかわからない(!これも今の時代あっぱれともいえる)のでからっきしだめで、はじめは長男が取ろうとしていたカードを奪う作戦に出て、それも即座に飽き、「うあーーーーーー」とぐちゃぐちゃにひっくり返して、そこから連鎖的にほかのおもちゃもすべて投げ散らかす、という感じです。夫婦の間では、いまどき珍しい天然記念物のような子だ、でもいじめるのは困る、というあたりで落ち着いており、いじめは除いてもそういう子と遊んだ方がいい、という空気でした。他人の子なので私たちも本気では怒れず、注意しても逆にいじめが激しくなるくらいでしたが、あるときあまりにも度が過ぎたため、私たち二人それぞれがかなりきつく叱ったところ、これをきっかけに少し扱いやすくなりました。なるほど、悪いことには他人の子といえども本気で怒らなくてはいけないんだと納得。

その後もいじめは続き、長男は前ほどKと遊びたがらなくなってきました。下の子の時は小さい子をいじめるのは卑怯だ、ときつくいえるのですが上の子のときはどう助け舟を出していいかわからず、自分で解決しなさいとか突き放した言い方しかできなかったのでそれではあまりにもかわいそうだからどうにかしなきゃ、と考え始めたころ、逃げてこられるような、家のすぐ近くでしか遊ばない、ぶたれそうになったら逃げて隠れる、という、腕っ節が強くない子ならではの対策を自分で考え出し、そうなると不思議と力関係の構図もまた少し変わり、皆保育園に行き始めたこともあって、今では全体的にずいぶん落ち着きました。

こちらへ来て最初に知った子だったので、沖縄の子はみんなこうなんだ、すごいワイルドなところに来ちゃったーと思いましたが、ほかの子に会ってみるといたって普通で、ほっと胸をなでおろしました。
聞くと、その子は良きにつけ悪きにつけやんちゃでかなり広い範囲で名前がとどろいているようでした。そして私たちも、子供を通してその子の家族(とてもいい人たち!)と交流でき、移ってきたばかりなのに一日子供たちを預かってもらったりと助けられてもいます。地域がいたずらっ子に対して寛容で、叱るところは叱り、遊んでいるとあちこちの大人やお年寄りが子供に声を掛けてくるのがとても印象的です。



都会の人にぜひこの子を見せたい!!!

2004年08月01日

新居にて2・3日目・・・台風の影響で荷が2日遅れる。また週末で、ガス・水道もないことをとても不便に感じてしまう

電気は管理人さんが手配してくれていましたがガス・水道は忘れていました。もちろん私たちも。
ガスコンロも買っていないので週末の二日間は外食や買って来たものばかり。荷が遅れて冷蔵庫も来ていないし、ずいぶんイライラしました。
とはいえ、川から引いてきている水の蛇口が外にあるので水が全くないわけではありません。隣に売店もあるし、特別不便でもないのです。

沖縄に行ったらスローライフを実践しようと思って・・・なんていっていたのに、あるのが当たり前、の文明にどっぷりつかっていてたったこれだけのことでめげてしまう自分だったのでした。

7月3日新居にて最初の晩、一睡もできず

「新しい家」は、セメント瓦で木造のけっこう古い家(借家)です。
狭いですが、沖縄らしい家ですし、こういう田舎で借家が見つかったこと自体宝くじに当たったような話なので、話をいただいたときに即決めました。

5月に下見に来ていましたが、いざここで生活、今日はここで寝る、となると、心配が絶えない私たち二人でした。
家がしばらく空いていたため、汚れがすごい。ほこりや、何かの虫(シロアリか?)が木をかじった食べかす、ヤモリの糞など。これは雑巾を持っていたので掃除をすればいいことですが、問題は畳。畳と畳の間は隙間だらけ、広いところで3センチくらい溝ができています。どうやったらこんなに狂うか?とぼやいている場合ではありません。隙間にもほこりがいっぱいたまっているのですが掃除機がない。何か詰めようにも詰め物がない。その上で今晩寝るのいやだなあ、ダニがわんさかいそう、とまた心配の種。
さらに、何人かの人からさんざんハブだのムカデだのねずみだのの話しを聞かされて、夜外を歩くたびに(トイレは外でぽっとん)ハブがいたらどうしようとびくびくしたり、置いてあるお菓子をねずみがかじりだすのではないかと、聞き耳を立てたり、天井からムカデが落ちてくるなよーと願を賭けたり。
そしてその日は台風が接近していたため立て付けの悪い雨戸ががたがたがたがた・・・
おまけに夜中に若者の車をふかす音が・・・

この晩は、人生で覚えている中でも最も寝つきが悪かった。文字通りほとんど一睡もできなかったと思います、二人とも。(子供は親の気配を敏感に感じ取ることなく、熟睡していてうらやましかった) 今考えると笑っちゃいますけどね・・・。何でも慣れですね、慣れ。

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