プロフィール
沖縄県大宜味村で陶芸工房を営んでいます。↓蛍窯HPもご覧ください!
ウェブサイトURL:http://www.yamagami-manabu.com/
(移転・リニューアルしました)

2011年12月06日

絶対的差別の解消をめざした師さんの死

絶対的差別の解消に文字通り骨身を削って取り組んでいらした杜の会の師さんが、亡くなりました。
ハンディキャップの方たちへの差別の解消とは何かをつきつめ、かれらの経済的自立、生きがいを実現するために奔走されてきた敬愛する方が逝ってしまったことは私達にとっては突然のことで、呆然としています。お近づきになってから短い期間でしたが、いわゆる社会的弱者の人たちも生きやすい世の中とはなにかという師さんが残された問いかけを、重く受け止めていきたいです。

candle1127.jpg
お葬式の夜に、キャンドルをひとつだけ灯して家族でうーとーとー(お祈りする、の沖縄方言)をしてみました。場が引き締まり、いつも多動過ぎる子ども達も静かに手を合わせていました。

ここ沖縄の田舎では、弱者に対する優しさを感じます。仕事もせず酒ばかり呑んで字費(自治会費のようなもの?)を払えない人などに対しても、口では悪く言っていても追い詰めすぎない。それに甘えてそういう人たちが更正しない、という見方もありはするのでしょうが、今の世の中で起きている切捨て、弱肉強食の、ストレス過多な競争社会をみていると、この優しさこそが希望ある未来を築く鍵となるのではないかと思ったりします。

師さんや、地域の人の寛容さに接して、自らもそうありたいと思う私達を、ためすようなウーファー(カップル)が現在滞在しています。詳細は別の機会に譲りますが、ウーフの仕組みは、ホストであるこちらが宿と食事を提供し、ウーファーは6時間の労働を提供してくれるという交換で成り立っていて、そのうえに交流という双方にとってかけがいのない体験が付随していることが、システムを魅力的なものにしています。現在滞在中のウーファーたちは、能力と志向と常識に問題があるため、交換の仕組みのバランスがたいそう悪く(平たく言えばこちらが大損している感じ)、交流もほとんど成り立ちません。こうなると、受け入れしないという選択も可能ですが、この能力の欠如の度合いは、ある意味社会的弱者と言えるほどで、師さんを敬愛する私達は、性格や態度がよくないわけではなく能力が少ないかれらに出て行けとは言わないことにしました(悩んだすえ)。一ヶ月の滞在中、おどろきあきれ、葛藤が大いにありましたが、ようやく終盤に係り、かれらの人より優れている点も見えるようになりました。自分の中の異質なものを排除したくなる性質と向き合うなど、いい経験になりました。優しさがある人は偉大だ、とつくづく感じています。明日旅立ちです。
posted by じんじん at 12:06| Comment(0) | 田舎で考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月12日

植樹祭の続き

沖縄もだいぶ冬らしくなってきました。
この地域でもインフルエンザが出て、長女の保育所は5日間閉鎖されました。
予防接種の案内がきましたが、受けずにいようかな・・・と思っています。

ずいぶん時間がたってしまいましたが、中田ヒデがあらわれた植樹祭のつづきです。

サッカーの前に、子供たちの人数を絞るためにマルバツゲームがありました。

最初の問題は、「ダムは自然破壊をしない。」○か×か、というもの。

びみょう・・・。
もちろんコカコーラの答えは○。
×とした次男を含め、ここで半分ぐらいが脱落。


そして最後の質問は「地球温暖化は海面の上昇などで白熊など北極に住む動物たちは困るけど人間には関係ない」というもの。
なんと、半分が○と答えていました。高学年の子も、平気で○にしてました。
教育が、環境教育が・・・とほほ状態です。
家庭でこういう話をするのって大切だな、と決意を新たに。
ちなみにXとした小4の長男は、温暖化は人間が引き起こしたことだから、ととらえたそうです。少しずれてるけど、自分で考えて友達とは違う答えを出していたようだったから、親としては嬉しい。

役場の人に「ダムは自然破壊をしない」の設問があって・・・と共感を求めて話をしたら、「みんなマスコミに洗脳されてるから×にたーくさん行くんじゃない!?」との反応。
こういうとらえかたもあるのか、と感心してしまいました。考え方や立場など様々に入り組んでいるのが人間社会ですね。

コカ・コーラは、植樹もし、参加者全員にTシャツを配り(もちろんCocaColaのロゴ入り)、昼食も無料で提供してくれました。
そしてサッカー選手を招いて・・・。さすが大企業、大盤振る舞い。
この植樹祭のイベントは、コカ・コーラの環境教育事業の一環で、沖縄本島北部では今年で3回目とのこと。
よくよく考えてみると、企業体である限り、そしてコカ・コーラのような商品が主力である限り、こういう活動をして生き残りを図るのは当然なのかもしれません。母に言うと「やらないよりいいじゃない」とのこと。確かにそうかもしれません。
(それでも個人的にはやっぱり、数百名が白地にCocaColaの赤いロゴマーク入りのシャツを着ているようすを見るのはあまり気持ちのいいものではありませんでした))

余談ですが、ここ大保ダム建設に当たっては大きな問題は表面化しなかった(もちろん、美しい川の流域が破壊されるなど、問題はありました)ようなのですが、建設で出た土を、海の埋め立てに使う、という計画には、大きな反対運動が起こりました。別の役場の人によると、反対運動を起こしたのは主に自然をも求めて移り住んできた人たちで、地元民は発展を求めているから賛成した、とのこと。たしかに大宜味村は平地が少ないのです。また、目と鼻の先にぶらさげられた埋め立て工事というエサもあり、多くの人が賛成し、結局埋め立ては行われたのですが、知人の土建業者は、このときに設備投資のため他社と連帯保証しあったため、昨今の不況&公共工事の減少で連帯先が倒産すると、健全経営していた知人の会社も倒産してしまったそうです。より長期的には土建業が多すぎたためにおきた自然淘汰ともいえますが、それにしても埋め立て事業ってなんだったの?と思ってしまいます。しかしこうなったら、埋め立てを長期的展望に基づいて上手に「持続的な発展」に活用して、仕事が増えて若者が増えて村が活性化して欲しいものです。
posted by じんじん at 22:16| Comment(0) | 田舎で考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月27日

伊江島の小麦

数週間前に開催された名護の産業祭りの話です。
北部の各市町村がブースを並べて自慢の特産品を紹介する区画のなかでは、
私の一番のお気に入りは伊江島ブース。
伊江島はピーナッツ、島ラッキョウ、麦など魅力的な特産品作りが上手で、
数年前の産業祭りで「伊江島産全粒粉」に出会って以来、ずっと取り寄せて使っています。
無農薬だし、とってもおいしいのです。
今年は、大麦を粉にした「はったい粉」を発見。
少し前に実家の母が送ってくれた「麦焦がし」入りのお菓子「大麦ダクワース」のおいしさに感動して、
調べてみたら「麦焦がし」と「はったい粉」が同じものだとわかって、へえ〜と思っていたところだったので、さっそく購入してパンに入れたところ、香ばしくておいしい!
久々に新しいパンの材料を発見できて、ちょっと嬉しいのです。
余談ですが、大麦の前のヒットは、家庭用精米機から出る「米ぬか」。
友人が米ぬかをパンに混ぜてみたら、とアドバイスをくれたのですが、炒るとすごくおいしいのです。それにタダです。

話は小麦に戻るのですが、有機農家の友人から種をもらって以前2回ほど小麦を作ってみて、
へたくそであまりたくさん獲れなかった上に後処理が大変だったりしてしばらく忘れていたのですが、
食料品高騰の折、改めて考えてみようかな(考えてみるだけでも)と、沖縄で作りやすそうな伊江島小麦の種(玄麦)について上記の伊江島ブースで聞いてみたところ、
玄麦は島の外に出さないようにしっかり管理されているとのこと。
現在、沖縄県産小麦の100%が伊江島産で、それを守って行きたいのだそうです。
以前芋か何かで品種が外に出て島にとって不利益なことがあったという事情があるそうなのですが、
自給率の向上が必須の状況なのに、考え方が狭いなあ、と思ってしまいました。
全県で作り出すと価格が下がるということなのでしょうか。
こういうことは、オープンにした人に最終的にはいろいろな意味での利益が戻ってくるはずだと思うのですが、素人が何も分かっていない、と怒られてしまいそうですね。
国産小麦市場は、政府が介入していたり、玄麦もあまり出回っていなかったりと、一般の野菜と流通が異なるようで、色々わかりにくいです。
posted by じんじん at 05:52| Comment(5) | 田舎で考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月17日

高江にて

ヘリパッド建設問題に揺れる東村高江へ、先週久しぶりに足を運びました。
何年か前から稲作りをしている高江の住民に稲の苗作りのノウハウを聞きに行ったのですが、
この方が座り込みの中心メンバーで、この日が担当に当たっているということで、それなら座り込みしながら話を聞こう、ということになりました。
座り込みはずいぶん前に行ったきりだったので良かったのですが、行こうと思えばもっと行けるのに、こんなことでもないと腰が上がらない自分が情けないのです。

座り込みに居合わせた若いアメリカ人と少し話をしたところ、お父さんは米軍人とのこと。
それなのに反米軍的活動に参加するのは意外な気がするけど、と問うと、
自分はお父さんから、絶対に軍隊に入ってはいけないと小さいころから言われ続けてきた、との答え。
そういう考え方は珍しくないのかしら、と聞くと、珍しくないと思う、とのこと。
お父さんが軍隊に入ったのは、お金も地位も機会もない、
まったく何もない状況から抜け出したかったからなのだそうです。
戦争をするために入ったわけではない。
同じように、人殺しをするために入隊したわけではない人たちは、沖縄で敵意のこもった目でみつめられ、戸惑っているだろう、と言っていました。

13日には、カフェ山甌でケニアドゥルマ族の「精霊を呼ぶ太鼓」ライブがありました。
数ヶ月をかけて日本を行脚するツアーだそうで、沖縄の事務局は漆喰シーサー作家の工房アマムさん。
彼女はこの企画のためにパソコンを購入してブログを立ち上げました。
http://amamu.ti-da.net/
森の中のライブはもちろん最高でしたが、
その前に行われた、ナイロビのスラムで孤児やストリートチルドレンのための学校を運営する早川千晶さんのスライドショーに心を打たれました。
街角で空腹を紛らすためにシンナーを吸い続けて廃人同然となって横たわっていたある子供がぶつぶつつぶやいているのをよくきいてみると、なんと、「学校に行きたい、学校に行きたい・・・・」と言っていたのだそうで、この子を学校へ行かせたい、という思いから早川さんはこういった活動を始めたとのこと。
森の中で漁や酪農をしながら自給自足で楽しく暮らしていたドゥルマ族が、ある日突然、工場を建てるという名目のもと、先祖代々の土地を追われてしまう話、今年始めごろの大統領選挙の不透明な結果に端を発した銃弾が飛び交う内乱のなか、ある絵描きさんが5千箇所にも書き記した平和のメッセージにより武器を落とす人々の話・・などを熱く語る早川さんの生き方に感銘しました。学校でも講演をよくするようで、話もわかりやすく、子供たちも聞きいっていました。
予断ですが、スライドショーの中で、部族の人たちの祭りが3日目に入り最高潮に達したときの写真が数枚あったのですが、白くほわほわした丸い物体がたくさん映し出されていました。これは精霊なのだそうです。目には見えないけれど、カメラには映るそうです。祭りにご先祖様が喜んで、たくさん降りてきてくれたのだそうですよ。

posted by じんじん at 11:01| Comment(2) | TrackBack(1) | 田舎で考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月26日

WWOOF

阪神百貨店での個展を機に、山上の実家へ里帰りしていて、帰ってきたら子供が3人とも発熱、その後来客が続いたりしてあっというまに前回の更新から一ヶ月も経ってしまいました。
オリンピックや高校野球、お盆が重なり、お客様がいらしてくださるのか心配でしたが、思ったより多くの方がいらしてくださったようで、感謝感謝です。
私は一度だけちょこっと会場に顔を出しましたが、10年前から何かとお世話になっている、娘の誕生もとても喜んでお祝いしてくださった方とお会いすることができました。関西方面では私が知っている方は少ないので、たまたまお会いできたことは何か意味があるような気がします。娘をずっと抱っこして可愛がってくれ、親として嬉しいひと時でした。
実家滞在中はいつも山上の年の離れたお兄さん家族やお姉さん家族がいろいろサポートしてくださり、すっかり甘えてしまう私たち。今回、小学生2人は大学生の従兄弟に甲子園の浦添商業の試合に連れて行ってもらいました。私も行きたかった・・・!いい思い出になることでしょう。


さて、タイトルの「WWOOF」、ご存知でしょうか。
Willing Workers  On Organic Farmsの略で、主に有機農業を体験したい人(ウーファー)が、労働力を必要としている人(ホスト)のところで食事と宿泊場所を提供してもらって労働を提供する、というしくみです。http://www.wwoofjapan.com/main/index.php
最近知人が始めてなかなか良さそうだったのでうちもホストとして登録してみました。オーガニックな暮らしを目指している人であれば、農業を生業としていなくてもホストになれます。
そして先日、初めてウーファーがやってきました。たった二日でしたが、すごく刺激的で面白かったです。かなり勉強している人で、初めて耳にするような話を数多く聞かせてもらいましたし、自分の持てる力で人に喜んでもらいたい、という姿勢は大いに見習うべきものでした。子供たちも大喜びで、さっそく次のウーフの人がくるのを心待ちにしています。さまざまなバックグラウンドをもった人たちが来るので、田舎に暮らしている子供たちにとっては広い視野を持つのに役立ちそうです。外国の人がくる可能性もあります。これからの出会いがとても楽しみです。


posted by じんじん at 21:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 田舎で考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月20日

田んぼで釣り

初めて挑戦している米作りですが、借りている田んぼで数年米を作っていなかったため、
卒倒するほどの量の雑草が発生して、あまりたくさんの収穫は見込めないかも・・・という状態です。
すでに一度抜いたのですが、しばらくするとこの状態に・・・。
なにごとも経験ですね。
少なくとも来年は今年より数段上手に出来るはず!!
私も2回ほど田んぼに入って草を抜きましたが、作業はとても清々しいです。
生活がかかっている仕事ではないので、週末のレジャー感覚で気楽に楽しんでいます。

ところで、この田んぼの横には池が作ってあって、魚が自然発生しています。
鳥の足に卵がくっついてくるのだとか。
大人が田んぼで作業をしている間、子供たちはここで釣りをするというのが
このところの我が家のブームです。



さおに糸と針をセットしてあげて、
あとは子供たちが自分でミミズを掘ってきて、針に差して釣る、というところまでできるようになりました。
さおは市販のものも使いますが、その辺に生えている竹で作ったさおでも意外と釣れたりします。
えさや道具のほとんどを身の回りで調達するこの遊びはかなり私好みです!
(私自身はあまりやりません)

先週の日曜日には学校の「親子で学ぼう」というイベントで
全校の親子で海に潮干狩りに行ったのですが、
ここで釣りをしたのがきっかけで、代休だった昨日は小学生の間で釣りが大ブームになっていました。
部落内に釣りができる川があって(田んぼの池よりちょっと高度です)、おじさんたちが教えてくれていました。なんて恵まれた環境なのでしょう。

息子たちが「今日のおかずは僕たちに任せて!」なんて言ってくれる夢がひょっとして実現したりして!?

posted by じんじん at 06:39| Comment(5) | TrackBack(0) | 田舎で考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月27日

家庭菜園

家の前にけっこう大きな畑のスペースが出来たにもかかわらず、
いまひとつやる気が出ず、もったいないことにほとんど放置していました。
が、ここへ来て食糧危機の問題がマスコミでもクローズアップされだしたこともあり、
沖縄に来たら自給自足を目指すぞ!という、すっかり忘れかけていた当初の心意気を思い出し、
畑をいじりだしました。
といってもまだ2週間くらい。
いつまでやる気が続くかがいつも大きな課題なんですが・・・でも、本気で取り組むべきことなのだと気を引き締めています。

(田んぼのほうは、草が大変なことになっていますが、山上がせっせと通って抜いています。
かなりの重労働らしいのに、時間を見つけては行っているので感心です。)

で、3年前に始めた仕事場のほうの畑で、とりあえず土を耕したり草を取ったりしていたら、以前植えたこぼれ種から出来たレタスと、生ごみから芽が出たトマトが少し取れました。
また、コンポストトイレから取った、排泄物からできた堆肥を、畑の隅に置いておいたところ、
そこからもトマトがいっぱい生えてきました。
私たちが食べたトマトの種・・・?
果たしてどんな味のトマトが出来るのか、収穫が楽しみです・・・。

これは1月に種まきした大豆。
沖縄では鳥や虫などいろいろなことで失敗したという話を良く聞くので、
私にとってはちょっとしたチャレンジです。
なので、本当に収穫できるのか、だめもと感覚で、期待は小さく。
でも味噌が作れるくらいとれたらいいな〜。


posted by じんじん at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 田舎で考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月14日

米作り

出産の介助をしてくださった助産婦さんの手厚いケアのおかげで
産後の体調はすこぶる良好です。
助産婦さんは産後5日ほど通いで来てくださいました。
一対一の独占状態でいろいろ世話を焼いていただいたりゆっくりお話もしたりと
とても贅沢な産後の日々を送ることが出来ました。
赤ちゃんもたくさん乳を飲み、順調に成長しているようです。
山上は毎日娘を抱きながら「べっぴんさんやな〜」とひとりごちています。

ところで今年は念願の米作りに挑戦しています。
写真ではあまり良くわかりませんが・・・。
田んぼが空いているという話が来たので、何人か仲間を募ってやってみています。
先週末田植えをしたのですが、初めてということもあり色々難しいようです。
作業に当たっている山上は、時間もとられて大変なので、
買ったほうが安いと稲作をやめてしまう人の気持ちがよくわかると言います。
本当に収穫までこぎつけられるのか、どうなることかわかりませんが、
主食を自ら作るということを以前からやってみたかったので
結果はどうあれやってみることに意味があるのかな、と話しています。

posted by じんじん at 10:36| Comment(4) | TrackBack(0) | 田舎で考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月25日

キャンドルナイト

前回日記で触れた「豪快な号外」(http://www.teamgogo.net/)を22日まで配布しました。
あちこちに電話したり、行く先々においてきたり、会う人々に渡したり。
配布を依頼してきた人に、ただ渡すだけでなく説明つきで配ってね、とお願いされたので
しばしば渡す相手と温暖化について会話することになりました。
興味がなさそう、あるいは興味があるかわからない人との会話は緊張したけれど、意外な方向に発展したりして、面白かったです。

何部か配布をお願いした美容院では、電気代の話になりました。
月々いくら払ってますか(4500円のうちのほうが安いに決まってると思いながら)ときくと、なんと4000円とのこと。
美容師の方は、日中家にいないから、と言うのですが、冷房もテレビも朝晩ばっちりつけているそうです。オール電化とのことで、調理もすべて電気で行うはずです。それに対し、我が家にはテレビと冷房がないし、炊飯器も電子レンジもありません。電気の容量も、オーブントースターをつけているときに洗濯機が脱水するとブレーカーが飛んでしまうほどささやかなものです。なのになぜ???
オール電化って省エネ機能が優れているのでしょうか。もしくは余った電力を売っているのかもしれません。電球は節電タイプのものを選んでるとのこと。(シャワーも節水タイプのものに変えたら水道代がうそみたいに半分に下がったそうです。つまりコストコンシャスに暮らしていらっしゃるようでした。)オール電化、私は電磁調理器に抵抗があるので(土鍋も使えないし)取り入れようとは思いませんが、謳っているだけのことはあるのかもしれませんね。話はそれますが、今、親に譲ってもらった初代のプリウスに乗っているのですが、燃費は約16キロ。ところが新型のものは、24キロですって。技術の進歩は侮れません。
電気代=CO2の排出ですから、電気代にもうちょっと心を砕いてみてもいいかもしれません。これだけの家電で4500円といううちの電気代はどうみても高い、という結論になりました。原因は冷蔵庫が古い&整理をちゃんとしていないこと、それに照明をこまめに消していないことでしょうか。(漏電か?なんて疑いたくなっちゃったけど、前の栃木の家でも疑ったから、ほぼ間違いなく原因は自分。)

配布に話が戻りますが、一番勇気が要ったのが、PTAの父兄への配布でした。「はあ?」みたいな反応の人もいたけど、「ぜひ、やりますっ!」と言ってくれた人もいました。扇風機も消すべきかどうか、という議論にまでなりました(うちは扇風機つけちゃった)。本当はこういう一般の人に思い切ってアプローチするのが大切だと思うので、今回そういう機会が与えられてとてもありがたく思っています。

そのほかには、ある村の教育委員会では、学校を通じて全生徒に配布する予定だったけれど、銀行に関する記載がネックになって配布できなかった、とか、ある人の息子が通う中学では配られたけど先生が窓拭きに使うように言ったそうで、それを聞いて驚いて号外に記載されている漫画の内容(このままいくと地球がたいへんなことになってしまうという研究データに基づいたお話)を説明したら、この中学生が真剣になって、「おれ、あした200部学校に持っていく!」と行動に出てくれた、とか。自分たちの世代に大いにかかわることなのですもんね。ビバ!中学生!
うちの学校ではどうかな・・・と思っていましたが、各担任に一任されたようでした。2年生の息子の学級では「最低30秒はやるように」と言われたそうです。悪くない!!!昨日、遊びに来た息子の同級生が「きのうろうそくやった?」ときいてきたので「やったよ」と答えると、その子の家では「見たいテレビがあったのでやらせんかった」、とのことでした。それでも、話題に上るだけ悪くない!!!


キャンドルナイトをやってみて、普段電気にいかに頼っているか、よく実感できました。ろうそくの光だけではトランプをするにも目が疲れてしまい、本読みの時間には「いいよね」、とかいいながらスタンドだけつけてしまいました。皿洗いのときもつけちゃいました。それでも、部屋を煌々と照らす全体照明は、必ずしも常時つけている必要がないことがわかりました。日中も、いつもよりかなりまめに電気を消しました。
電気がないと、本当に何もすることがない!だれかが、アメリカの9.11のときはろうそく生活の最中に子供ができた人が多かったらしいから、キャンドルナイトのときにも子供がたくさんできるかもね、といっていました。そうか、温暖化防止のついでに少子化対策にもなるのなら、もっと推進しない手はないですね!
キャンドルナイト、22〜24日の3日間やってみましたが、子供たちも3日目には慣れてきて、「毎日やりたい」と言っていました。(初日は暗いのがちょっと怖かったよう。)一度、キャンドルの明かりで将棋をやったのが楽しかったな〜。機会を見つけて、演出にも凝って、ちょくちょくやってみようと思います。皆さま、今度一緒にやりましょう!
posted by じんじん at 13:20| Comment(6) | TrackBack(0) | 田舎で考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月08日

東京の風

2day's shopにかこつけて、1週間東京に滞在してきました。

夏に亡くなった祖母のお墓参りや、グループホームに入っているもう一方の祖母に会いにいくなど、ずっと懸案だったことをやっと実行できました。


都会を離れて10年になりますが、こちらの記憶の薄れ具合もさることながら、様変わりの度合いも激しくて、毎度のことながら目を白黒させてしまいます。

よく耳にする「再開発」があちらこちらでものすごい勢いで行われているようですね。大都市東京といえどもパイは限られているだろうし、そのパイはどうしたって新しいところに流れるだろうし、開発地はごくわずかしか残らないだろうし、淘汰されてしまったところはどうなるのだろう、開発された当時投入された資源やエネルギーはごみか。
OL時代によく行った恵比寿はもう廃れてるってきいたけど・・・?
こんな風に作っては壊しで本当にいいのか?
好景気ってこういうことなの、使い捨てニッポン?
posted by じんじん at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 田舎で考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月11日

コンポストトイレ

工房にトイレがずっとありませんでした。
無い間は、基本的にはみな外で用を足していました。
わたしは、家に帰ったりしたこともありましたが、
子供たちは、きもちよさそうに(?)ノグソ(失礼)体験していました。

工房のお披露目会をしたときにきてくれた近所のおばあたちは、
トイレが無いというと、
「おばあはあっちでしてこようね」
とこともなげな様子でしたが(農作業を日常とするため外で済ますのに慣れている)、
一般の人相手にさすがにこれではまずいということで
ギャラリーオープンを機にやっとトイレを設置することにしました。

コンポストトイレを選んだ理由は、
工房の敷地の周囲は2面を細い川が流れているため排水が気になることと、
肥料を自前で調達できそうだ、という循環システムの考えにちょっとはまってしまったから。

そう、コンポスト・トイレとは、一言で言えば排泄物を堆肥化するトイレなのです。
山小屋などでよく使われるそうです。
便器の下部に腐葉土などを入れておいて堆肥化できる装置がついています。
なので、便座がとても高い位置にあり、不思議な感じです。
設置してから2〜3週間になりますが、いまのところ臭いはまったく気になりません。

compost.jpg

購入先は、ネットで見つけた庭仕事ひろばさん
HPでも詳しく解説されていますし、電話での質問にも丁寧に応対してくださいました。

みなさん、ぜひ見にいらして我が家の堆肥作りに貢献してください!


ギャラリーは、今週末オープン予定です。
posted by じんじん at 22:41| Comment(14) | TrackBack(0) | 田舎で考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月13日

テレビの取材(うちではなく)

昨日に引き続き、メディアの話。

森の中の、人里離れた、とても素敵な空間に遊びに行きました。
田舎に住んでいる私が思い出しても、
まったく違う時間が流れていたなあと思います。
受け入れてくださった人たちの作用なのでしょう。
360度森に囲まれて、山の濃い空気を吸いながら、やっぱり自然の中で生活するのが一番いい、と改めて感じました。

午後行ったのに、囲炉裏にべったりはりついて、ゆったりと時間は流れていつのまにか酒宴に・・・。

そこへ、テレビの製作会社のねーちゃんが取材にやってきました(アポあり)。
いまはやりの、田舎暮らしに関する番組を作っているとのこと。

私はといえば、どんなことを話すのか、興味津々!
のっけからあら捜し体制に入っていました。(やなやつ〜。)

はつらつとしていて、自分とは明らかに雰囲気の違う空気の中に一人で乗り込んできてがんばっていました。

が、ご主人(40台後半)に向かって
「自分で家を作って住んでるわけですよね。それでどんなことを感じるか、教えてもらいたいんですよ」

いきなり初対面でその言葉遣いはちょっと・・・。
尊敬語が使えないんですね、尊敬語が。
年齢を聞いたら私の2コ下でした。
敬語が使えないから10才くらい下かと思っちゃった。
(あんただって偉そうなこといえないわよ!と親から横やりが入りそうですが))

「お買い物は生協ですか。じゃあ、なにか沖縄の生協ならではのおトクな情報とかないですかね。」
「美味しい魚なんかが手に入るところってあるんですか」
「肉とかはどうやって手に入れるんですか」

このあたり一同絶句後、ちょっと「わかってない」といじめてしまいました(私が率先してしまったかも)。

酔いがさめて思い返してみると、彼女、責められるようなことを言っていない気がしないでもない。

でも、あの場で、火を囲んで、周りには自然しかなくて、時間というものがあたかも存在しないかのような空気の中で、あまりにどうでもいい質問の内容。

どこに行けば何がある、という観光ガイド的なことではなく、
ここでは100メート歩けばありとあらゆるものがある、それに気づいてほしい、とご主人が言っても、ぴんとこない様子。
「私はなにもわかんないから気づかせて欲しいんですよ〜」という調子です。

2、3日ここに泊まってゆっくりしていってもらえばわかるはず、と奥様も助け舟を出すも、
「申し訳ないんですが、時間がないんです」

ま、それはそうなのでしょうけれど。

都会から友達が来て、今住んでいる家や森の中の空間を案内すると、みなすごく喜んでくれます。
ところがこのねーちゃんは、喜んだり感動したり、というところがぜんぜん見えませんでした。
どうやったら絵になるか、ということで頭がパンパンなのでしょう。
今まで何十件も田舎暮らしの家庭を訪問してきたということですから、番組を形にすることに関してはプロなのでしょう。
(わかってないと怒られたのは初めてだったそうですが)

でも、何も感じない人が番組を作っているのを目の当たりにして、私はますますテレビに幻滅してしまいました。

というひねくれば見方しかできない私をよそに、ご夫妻は優しく彼女に接していました。「だって彼女一生懸命だもん」と。
最終的には「だからあなたがちゃんと番組を作れるようにがんばるよ」とかいいつつ、彼女をうまくこちら側に引き込んでいたようでした。
案外いい番組が撮れたかもしれない、とさえ思いましたが、さてどうなったことでしょう。

民放の製作会社は、親会社のテレビ局がダメ出ししたら予算ごとすべてパーになってしまうそうです。
だから親会社の顔色も見なければいけない。彼女もたいへんなのでしょうけどね・・・。


posted by じんじん at 23:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 田舎で考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月21日

不便ということ

家の件もそうですし、田舎暮らし自体もそうですが、「不便」と感じることがいっぱいあります。
この「不便」。最初はストレスですが、慣れるとけっこう楽しいものです。


こちらへ引っ越してきてから、家のスペースがないことをきっかけに、以前から気になっていた電子レンジとテレビをあえてなくしてみました。

両方とも、あまり好きではなかったものでしたが、便利だし、なくす勇気は今までありませんでした。この二つの家電がなくなってみて、たしかに最初はちょっと戸惑いがありました。
けれでも今ではないほうが快適、と言い切ることが出来ます。


電子レンジは、電磁波が体に与える影響などについていろいろ言う人もいるし、熱ではなく電磁波で食物を温めるということが不自然な気がする、とずっと気になっていました。それに電子レンジを使ったものはあまり美味しくないと思っていました。でも残り物を温めたりするには便利だし、時々使うくらいなら、としまわないでいたら、やっぱりそこにあるとついつい使ってしまっていました。ですから、いざなくなってみると最初は不便に感じました。


でもよく考えてみたら、電子レンジが普及してきたのもわりと最近です。子供のころ、家に電子レンジが登場したときのことをよく覚えています。「これで温まるなんて不思議ねー」なんて言って皆で驚きました。つまりそれまではなかったのですから、大騒ぎするほどのことはないはずです。慣れてくると、冷ごはんを土鍋ごと温めたり、冷ごはんそのものを楽しんだり、のこりものを他の材料と混ぜて炒めてチャンプルーにしちゃったりと、方法はいろいろあって、今では何に電子レンジを使っていたか忘れてしまったくらいです。



テレビは、前の家では結婚祝で思い切って購入した50インチの大画面テレビでした。とても今の家には入らないので、知人にあげてきて、そのまままだ買っていない状態です。もともと私はニュースや映画くらいしか見ないので、子供が小さくて映画も見られない今となってはほとんど執着はありません。夫と私だけだったときはビデオを見たり、いいお付き合いが出来る道具でしたが、子供が生まれてからは諸刃の刃(大げさ?)に。子供にテレビを見せたくないけど見ててくれたらラク。消せと言うか言うまいか、常にもやもやしてしまいます。くつろいでいるときに惰性でつけている大人向けの映像も、子供には洪水のように入っていくのが気になっても、いつも画面を消す決心がつくわけではありません。しまいにはこっちがテレビに引き込まれて「ちょっと静かにしてよ!」と怒ってしまったりして・・・。



こちらも最初のころは、こんなときテレビがあれば、と思ったり、夜くつろぐときに習慣でテレビを見たいと感じたりしましたが、ないことに慣れた今は、テレビに関する悩みが一気に解消され、満足しています。テレビがない分じっくり子供と向き合えるし、情報を得る方法も、より能動的になったと感じています。子供たちも、遊びを次から次へと生み出しているように見えます。そもそもテレビの一面的でうすっぺらな情報にはうんざりしていました。子供たちがどうしてもテレビが欲しいと言い出したら、そのときまた考えようと思っています。


今の家は、とにかく前の家に比べると狭いことが悩みでした。物は納まりきらないし、台所もとにかく小さくていらいらする!でもそれにも慣れました。われながら、慣れるものだなーと思います。自分たちもモノを持ちすぎていたこともあり(下手にスペースがあると考えずにものを増やしてしまう)、一部屋分くらいのものを処分してきても、まだ家中荷物だらけでした。今は仕事場が出来たので、入りきらないものは仕事場に移動させています・・・前と同じことですね。でも、今回の引越しで、いかに不要なものをたくさん持っているかということを痛感しました。スペースのあるなしにかかわらず、極力モノを増やさないように努力しよう、と心に決めました。決して余裕があるわけではない私たちが、努力しないと物が増えてしまうくらい、今はモノが溢れているし、安すぎるのだと思います。


話がそれてしまいました。
不便には、慣れと工夫。ちょっとしたことでも、不便を克服するのは何だか楽しい。
その極めつけが、次の項目でお話しようと思っている「五右衛門風呂」。
こんなに楽しい「不便」はありません!



この国は、何だか便利すぎです。至れり尽くせりな機能が溢れていて、何も考えなくても事が進むようになっている。考える余地がどんどん減っている気がします。日本人は退化しているはずです。

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2005年01月06日

重機

女性の皆さん、ダンプトラックと普通のトラックの違いをご存知ですか?パワーショベルにホイルローダー、ロードスクレーパー、ブルドーザー・・・それぞれどういう役割かわかりますか?
男の子二人の親になったおかげで、とても詳しくなりました。(別に知りたかったわけでもないのですが。)
子供が注目するまでは、重機というものは存在しないかのように視界に入ってきませんでしたが、探すようになると、いたるところでそれぞれの役割を担って働いているものなのだということがわかりました。

ここ沖縄、もしくはいま自分たちが暮らしている周辺では、重機を見かける頻度がとても多い気がします。沖縄は公共事業の島、のようです。こちらの事情で注意してみるようになった、ということだけではないと思います。ちなみにわたしたちが住む小さな部落には、建設会社が3社あります。

重機は、人が体を酷使してこなせる仕事を100人分くらい(もっとか?)、一人の体も酷使せずにしてしまいます。人間がシャベルで地面を掘ることはほとんど「ゼロ」と等しいのではないかと思えるほど、みるみる地形を変えることが出来ます。

今の仕事場の土地を整地してもらう際に、膨大な量の盛り土を2日弱で運び込み圧縮するさま、崩れ防止の大量の岩が半日で積まれていくさま、を口をあけて眺めていました。展示会までの日数も限られていたし、人力に頼ってこの作業が半年かかったらもちろん困るのですが、こんな大仕事を、こんなに短時間で、たったこれだけの人手で済ませられて、すばらしく効率がいいことだけど、何だか怖い、と感じてしまう自分がいるのでした。

重機というパワフルな存在が、速いスピードで山の地形を変え、それによってさまざまな形で自然環境に影響を与えるという事実がどうしても気になります。(特に沖縄は本土と比べても自然環境がもろく、珊瑚に関していえば、赤土という水はけが悪い独特の土が森林の下にあるため、雨が降ると伐採された山から一気に赤土が海に流れ込み、見た目にも汚くて悲しいのですが、このおかげで珊瑚が呼吸できなくなってしまい、死んでしまっているそうです。沖縄本島の周りの珊瑚はほぼ壊滅状態とのこと。そのほかにも道の作りすぎによる森の分断などがもたらす固有動植物絶滅の危機など、問題が山積み)

田舎暮らしをはじめてから、自然と親しむ生き方を模索してきました。作物を作ったり、山菜を採ったり・・・都会育ちのわたしには新しい事ばかりでしたが、気持ちいいし楽しい。こちらへ移ったら、これをさらに推し進めよう、鳥を飼ったり魚を釣ったり、という思いがあります。こういう生活をしていると自然と環境問題へも関心が向きます。

けれども、責めるべきは重機を扱う人ではなく、政策を決めているお上なのでしょう。生活のために大切な海を埋め立てる作業をする人の胸のうちを、どうしてわたしなどが語れるでしょうか。

また、今の世の中で、すべて手作業でやりましょうというつもりもありません。自分たちも重機を使ってできた施設などでなんらかの恩恵を受けていることは確実でしょうから。

でも、とりあえず疑問だけでももって、考えてみよう、と思いました。

人間の力をはるかに超えたものはたくさん生み出されていますが、すごいと思うけれど恐ろしいというのがわかりやすいという点で、動きも大きいし音も暴力的な重機はまだいい方なのかもしれません。
化学物質など、便利と恐ろしいが背中合わせになっていることが見えにくいものの方が本当は怖いといえそうです。


仕事場の敷地の一部を畑にすることにしましたが、すべて圧縮されており、掘り起こすのが非常にたいへんです。あまりにも固いので耕運機を借りる事も考えましたが、人間の体で出来る範囲、ということに今回はこだわってみることにしました。時間がかかってもいいから、効率を優先するのではなく、腕や腰を酷使するということはどういうことなのか、やってみようと。身の丈に合った暮らし、というものを考えてみようと。

たまたまこんなことを考えていたら、読んでいた本(「すばらしい新世界」池澤夏樹著)で、ネパールの飛行場の工事をするのに人が一列になってシャベルで地面を掘っている、この国で重機を買う予算はない、という記述に当たりました。(重機を買う予算がないくらいのほうが環境にはいいんじゃないかと思ってしまいます。)それ以来、ネパールの工事のおじさんに思いをはせながらひたすら固い土を削る作業をしています。といってもせいぜい1日30分から1時間。おじさんたちは仕事だから暑くても寒くてもやらなくちゃいけないし、どんなに腰が痛くても決まった時間働きゃなきゃいけない、そう考えるとやはり重機は便利だ、でもそれでいいのか、行き着くところはやっぱり経済か、そもそもわたしたちの収入だって元をただすとどこから来るのか・・・などなどつらつら考えながらくわを振るいます。

そして、体は痛いけどこういう時間があるって幸せだなあ、とつくづく思うのです。
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