プロフィール
沖縄県大宜味村で陶芸工房を営んでいます。↓蛍窯HPもご覧ください!
ウェブサイトURL:http://www.yamagami-manabu.com/
(移転・リニューアルしました)

2006年04月26日

桐箱

少し前の仕事ですが、
お使い物を桐箱に入れて、という注文がありました。

kiribako.jpg

山上が箱書きをしたあと、箱詰めをしたのですが、
桐の柔らかくあたたかみのある手触りに改めてうっとりしました。
桐を床材にすると、傷つきやすいけれどとても暖かく、足が冷えにくい、という新聞記事を読んだことを思い出しました。
そして、同じ器でも、木の箱に入れるときりりと立派に見えるなあ・・・と、木箱の注文をいただくたびに抱く感想を今回も抱きました。

ところでこの桐、たしかアメリカ桐です。
日本の森林を守る観点から(!)、次は日本産の桐にしてみようかと思い、問い合わせたところ、ここの箱屋さんでは価格が高く注文もほとんどないので扱っていない、とのことでした。

まあそういわずに、といいたいところですが、焼き物に対してはあくまで脇役の箱ですから、器の価格とのバランスから言ってもやはりそんなにはお金はかけられません(うちの場合)。

ここは焼き物自体の値段が高い大先生たちに期待したいところです。

2006年02月08日

「森の自然学校」パート4

森の自然学校」(稲本正著 岩波新書)紹介の、最終回です、やっと。

●木の家を見直す

日本人なら、なんとなく木造の家が落ち着く、と感じる人、多いのではないでしょうか。
この本によると、木でできた家は、光や音、香り、触覚に関して、理論的にも落ち着いてゆったりする効果があるそうです。

木材が育ったのと同じ年月それが存続したなら木材資源はなくならない。しかも国産材を使うことが日本の森の維持につながる。
それならば家を建てる際に国産材を積極的に使えばよさそうなのに、「値段」という壁に阻まれているのが現状のようです。
似たような機能のものを並べて、国産は5割高い、5割すなわち数百万、となると、誰でも躊躇してしまうかもしれません。

でも見方を変えれば、建築の中で構造に関する材料費が占める割合は2割程度なので、材料費が1・5倍になったところで建築全体では一割くらいしか高くならない。材料は高くても、耐久性がいいし、ちゃんと作れば100年使える木造建築が出来上がるから一割の価値はある、と稲本さんは指摘しています。

・・・・

今作られている家で、100年使うことを想定して建てられている家ってどれくらいあるのでしょうか。

築26〜7年の実家も、取り壊してマンションにすることを検討しているようです。
そのほうが「経済的」ということらしい。

中古の家を買って、安かったのはいいけれどリフォームにお金がかかって仕方ないから新築のほうがいい、という話も聞きます。

都会では、土地つき建物の建物のほうは下手すると築15年くらいで査定価格がゼロになってしまうのですよね。数千万円もかけて、15年で評価ゼロ・・・。

都会に住む場合、マンションにしろ一軒家にしろ、普通に新築を買おうと思ったら3000万〜5000万くらいはかかるのでしょうか。(もちろんピンきりでしょうが)
相場がこれくらいとはいえ、冷静に考えるとすごい額です。

よほど恵まれている人でない場合、30年ローンを組み、利子の分何割か余分に払う。

こんなに苦しいのなら、削れるところは予算を削りたい、と思う。すると原材料しかない、ということになるのだろうなあ。

でも実はこの3000万〜5000万の内訳は、都会の異常に高い地価や、ゼネコンが業者からピンはねするお金がかなりの割合を占めていたりしますよね。

利子とか地価とか、「経済」の世界ではメジャーだけど実体のないものが台頭していて、片や「日本の森林」という実体が消え去ってしまう構造・・・。
安い外材に対する競争力がないという理由で身近な森が機能しなくなる、というのは悲しい現実だなあ。

私は田舎に来る前、サラリーマンをしていてローンが組める状況にあったら、家は5000万くらいはかかるもの、と思い込んでいました。
でも都会を離れて、やり方を工夫すれば、半分から3分の1くらいで家は建つという例をたくさん見てきました。(栃木の家もそうでした。)
直接大工さんに頼むとか、内装を自分たちでやるとか、システムキッチンは必須という発想を捨てるとか(もしくはリサイクルを探すとか)、子供1人に1部屋神話に疑問を投げかけてみるとか。
発想を変えて払いすぎを見直して、かけるべきところにお金をかける、そんな風に考えてみてもいいのでは、と今は思うようになりました。

・・・・・・・・・

稲本さんの本を読み、日本の森林の状況をざっとですがつかむことができました。
木というのは鉱物と異なり、わたしたちに優しく働きかけてくれる精霊が宿る存在・・・そんなことを森に入ると感じます。

「生命としての木」という視点から語ってくれたこの本は、身の回りにある木を原料としてできたものを見る目をよりやさしいものに変えてくれました。

孫まで住める家を建てる。こんなロマンチックなことを自分もしてみたい!

けれど現実には、そういった投資をすべき価値がある土地をみつけるのもなかなか困難な自分たち個人のケースひとつをとっても難しく、なかなか一筋縄ではいかないのでありました。

2006年02月06日

「森の自然学校」パート3

●日本の森
日本の森林は、再生がもっとも大切なのだそうです。
文明的なものは極力入れないようにすべき原生林は森林全体のたった2.3%。
55%以上を占める二次林(一度伐採したあと自然に育ってきた森)のうち、70〜80年以上経って自然生態系が豊かになった森(二次林のうち10%強)以外は、保護が必要。
41%はスギやヒノキを植林した人工林で、常に手を入れなければいけない。
つまり、森林全体の80%以上は人間が相当に手を加え自然度合いをチェックすることが必要だそうです。

森林全体の41%にあたる人工林を良くするためにはなによりも「日本の木材を使った木造建築を増やすこと」。
日本の木が建築に使われたなら、林業家にお金が入り、森林が手入れされ、よりよい人工林に変わります。
人工林は、木材を取るまでに時間がかかるばかりではく、下草刈りや枝打ちなど、維持に非常に手間がかかるのですが、輸入材が増え、後継者不足で最悪な展開になっているそうです。
1997年の林業後継者は1000人で、全国の市町村の数より少ない、除・間伐が進まず不健康になり始めている人工林が7割を超えているという話もある、その結果台風などでほとんど倒れてしまう被害を受けた林業家もかなりいる、などなど。
この絶望的状況から逃れるためには、若者を教育する機関を作り、国や民間団体が資金面や運用面でバックアップするしかない、と稲本さんは提唱しています。

実は一番問題なのは、一度刈られてその後放置されてできた、二次的広葉樹林だそうです。
いっせいに刈られてしまった山は、木が同時に育ち、優劣がつきにくく、1000本くらいが理想のところへ数10万本もがいつまでもひしめきあい、そうなるとブッシュ状態で鳥も飛ばなければ小動物も入り込まない。すると、ある特殊な昆虫が異常発生したり陽のあたらない林床で大切なバクテリアがまったく増えなくなったりするそうです。保全林の指定を受けながらもこれに近い荒れたままの二次林も相当見受けられるし、クマザサが一面におおい、樹木が育たなくなってしまっている「地目だけが山林」も増えているとのことです。
このような林も100年近くたてば原生の森林に近くなっていくこともありますが、現在の地球上の森林の荒廃状況を考えると、100年という時間は長すぎだし、二酸化炭素濃度の上昇や水の汚染を最も力強く食い止めるのは健全な森林であることは言うまでもないのに、このような危機的状況は認識さえされていない、と訴えています。

栃木時代は里山に暮らしていて、「問題」の、手入れされていない二次的広葉樹林も近くにありましたが、当時はそれが「問題だ」とは認識していなかったので、ここを読んだときはちょっと衝撃でした。

稲本さん率いる、森林の再生のための林業の後継者育成や森林インストラクターの養成は、教育ノウハウは十分あるにもかかわらず、なかなかうまくいかないといいます。
まず、林業の後継者を養成しても就職先がないという現実。
さらに、森林を舞台にした実習は、収入があるどころか出費がかさんでしまう。国有林も民有林も大赤字で、お金を取ることができず、山に入るための交通費・宿泊費、ときには道具も自前になってしまうから、とのことです。


パート4に続く

2006年02月03日

「森の自然学校」パート2

前回にひきつづき、「森の自然学校」(稲本正著 岩波新書)の紹介です。

●木にとっての不幸。

さて、木にとって最悪なところで近代文明と接点ができてしまいました。

まず、紙。
西洋紙は、何十年から何百年かけて育った木をチップにして作られます。
中性紙はまだしも、酸性紙は30年ほどでぼろぼろになります。
それでも単行本になる紙はまだ幸福で、雑誌や新聞はちょっと見られてすぐ捨てられてしまい、ティッシュやトイレットペーパーときたら、ほとんど一瞬で用無しになってしまい、再生紙になる可能性もありません。
国内の木材使用量全体の40%が紙になっているそうです。

もうひとつは、コンパネを主とした使い捨ての合板。
コンクリートを固めるために使われる型枠用の合板は、使い捨てのケースが多いのだそうです(3〜4回使ってから捨てられることもあるそうですが)。梱包材としても使い捨てされることが多いということです。

この本によると、型枠用合板と梱包材で木材使用量全体の13%を占めており、紙まで入れたら53%になるのだそうです。
のこりの45%は建造物や家具に使われます。


とにかく一番問題なのは、短い時間でごみになったり燃やされたりすることです。
紙もコンパネも、木材資源としては異例なほど生産にエネルギーを使い、やっとできあがったとおもったら、たった一回のほんの少しの使用ですぐ寿命を終えてしまっています。このような使い方が主では木材資源はすぐに枯渇してしまいます。

しかし、家具や家に木材が使われ、その木材が育ったのと同じ年月それが存続したなら木材資源はなくならないそうです。
木材は、適正な使い方をしたら数百年も十分に使用可能なのだそうですよ!

(注:ここでいう「木材」は、合板ではないもの。合板は、耐久年数が低く、長持ちしません。しかも、合板の家具は熱帯材を使っていることが多いのだそうです。また合板は、修理にも向かないそうです。ホルムアルデヒドの問題もありますし、カビも生えやすいです。)

パート3に続く

2006年01月28日

「森の自然学校」パート1

このところの私のもっぱらの関心事といったら、モノはどこから来てどこへ行くのか。
ひとりフェア(:仲間随時募集)開催中につき、ブログにも関連記事が増えてきています。

身の回りのもの−食べ物が一番考えやすいですが−が、どこでどう作られて自分の手元へきたのか、ということに常に気を配ると、環境問題、国際政治、経済・・・いろいろなことが見えてきます。


以前合板のことを書きましたが、あれをきっかけに木工家のもりもりさんにいろいろご指導いただき、少しですが勉強しました。

薦められて読んだのが、「森の自然学校」(稲本正著 岩波新書)。

木に対する愛が感じられる、とても良い本でしたので、少しここで紹介させてください。

日本人は、太古の昔から森と共存してきて、世界に類を見ない高度な木の文化を育んできたのに、今はいろんな理由でそれが滅びようとしている、という内容です。

世界に類を見ない高度な木の文化―――。
たとえば、日本の木工具は、繊細で、世界一優れているといわれているそうです。
また、縄文時代の木を使ったすばらしい文化が近年解明されています。


今日は内容紹介パート1です。

●木を環境問題的とらえる

「アルミは木の126倍の生産エネルギーが必要」なのだそうです。

アルミニウムを加工するには、電気の使用や鉱物の輸送が必要ですが、この過程でさまざまなエネルギーを、ロスを出しながら使っているのだそうです。
ロスを出しながら、とは、たとえば、石油を電気に変換させる過程で数10%の無駄が生じる、という意味。

また、鉱物の加工には1000℃以上の熱を加えることが必要で、非常にエネルギーの負荷が大きいということです。
(やきものも窯を1000度以上にします。ごめんなさい。)

これに対し、木を加工し、製品を作るのにはそれほど多量なエネルギーを必要としません。

また、木は、資源として、腐ったり燃えたりしても、金属と違って土として再生される、循環型資源です。

しかも、成長する過程で、人間や動物や化石燃料がその燃焼時に出す二酸化炭素を吸収し、他方で酸素を放出する、生産しながら環境をきれいします。
さらにその幹は、人間生活のあらゆる場面で使われる道具に変身させることができるのです。

それなのに軽視されているのは、感性が鈍くなった現代人は木の複雑な性質をうまく扱えなくなったからだ、と指摘しています。そして、化石資源はなくならないという前提で単純な素材で短絡的に物を作る近代合理主義が台頭してきたからだと説いています。

ね、これだけでも考えさせられますよねー。
なるべく木のものを買おう、って思いませんか?
でも合板はだめですよ。

パート2に続く

2005年12月25日

クリスマスの反省

フィリピンで小さな助産院を無料で開設している日本人助産師さんからのメール通信が届きました。
以下引用です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<クリスマスイブの日の様子>

クリスマスイブの今日は皆がかなり浮かれています。
どんな貧しい家でも気分はクリスマス。いつもと同じ遊びをしているし、いつもと同じように朝からご飯はなくお腹が減っていてもでもどこか皆晴れやかです。

私の子ども達も朝から外に出っぱなし、10時近くなってお腹減ったーと帰ってきました。
おなべいっぱいのご飯と目玉焼きを一緒に遊んでいた友達と外で分けて食べています。

今度はその子達が家で作ってもらった芋のお菓子を自慢げに持って来て皆と分け合います。
(お米は買えなくても芋は簡単に栽培できるので)今日は特別な日ですからお芋にお砂糖が入ったお菓子です。

小さな子はもっと欲しいとおねだりしています、すると6,7歳のお姉ちゃん達がすかさず自分の分を分けています。もちろん子供ですから、年上の子供の言うことに絶対服従の時もあります。小さい子のおもちゃを年上が取って遊んでいるのも当たり前の風景。でも何かあったらこうやって面倒もみてくれる、そんなつながりがあります。
こうやって子供たちは人間関係を学んで大きくなります。

貧しいが故、彼らが持つあたり前に助け合える姿は美しいと思います。

<12月15日の通信>

「もう直ぐクリスマスです。フィリピンはクリスマスのために生きていると言われるほど
クリスマスに力が入ります。しかし今年も異常気象で12月に入っても雨が多く電飾をはずす家が増え少しさびしい感じです。」

「先週、14歳の親も夫もいない少女がお産しました。幼い下の兄弟にとっては彼女が母親です。帰る場所が無い彼らは数日クリニックで暮らしました。少女のお産はとても静かで穏やかでした。生まれた赤ちゃんに大喜びする訳でもなく、そっと手を伸ばし自分の胸に抱きとめた姿は印象的でした。小さな赤ちゃんを見つめる兄弟たちの喜びの表情、彼らは物怖じせずに満面の笑顔を私にも向けます。小さな竹のベッドで赤ちゃんと産婦、2人の兄弟が寄り添い丸くなって眠っている姿はいろいろ感じることがありました。

姉や兄弟がいる場所が一番幸せで暖かいことを彼らは知っているのです。
彼ら兄弟の絆や信頼が私には神々しく、きっと彼らは無意識に神の存在を知っているのだと感じました。家も決まっていない、食べ物が無くても恐れていない、あるがままを受け入れ、また受け入れないと生きて行けない子供たち。彼らの人生は今までも近所の人が助けてきました。今後もきっとそうなるでしょう。
こういう子供たちの問題は複雑で解決するとしたら引き取って家庭に入れることしかありません。今の所、私が出来ることは育児と病気になった時の支援です。今日も彼女は赤ちゃんを連れてクリニックにきました。咳が出るのとお臍が取れないのを心配してです。咳には支援者から送られた薬と温かいおくるみが渡されました。小さなつながりでも彼女が安心して来れる場所のひとつにクリニックが考えてもらえたことはありがたいと思います。これも日本の多くの方がいろいろな形で支援してくださっているおかげです。

日本から寄せられたおもちゃや文具、ぬいぐるみなどがクリスマスに貧困集落(今年度は離島です)の子供たちにサンタクロース(日本人大学生)からプレゼントされます。小さなつながりでも確実に幸せがここに広がります。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

転じて我が家のクリスマス:プレゼント版。

父方、母方双方のおじいちゃん、おばあちゃんから送られてきたプレゼント、血迷って私も買ってしまったプレゼント、知人からのプレゼントがうずたかくツリーの前に積まれていました。
うっかりしてイブの晩にサンタさんからの分を枕元におくのを忘れてしまいちょっと焦りましたが、なんとか裏の部屋に出してごまかし、事なきを得ました。
こどもたちは喜んでプレゼントを次々に開け、開け終わったらすぐに飽きて隣の家の子のクリスマスプレゼントでずうっと遊んでいました。
そしてしまいには、モノばっかりふえて散らかるばかり!とこちらがイライラする、いつもの構図です。


物が増えすぎないことに腐心するような生活をしている私たちがいる一方で、
世界には家もない子もいる。
私たちの物質的豊かさとこの子たちの貧困はどこかでつながっているのだということを常に頭の片隅にいれておきたい。

と思いつつ、こんなクリスマス・・・。

来年からはせめて、プレゼントはサンタさんからだけにしよう。

2005年11月09日

合板の家具にびっしりのカビ

古い家を借りて住んでします。築40年くらいでしょうか。
何回か手直しされていますが、一時しのぎの直し方のため、そろそろ限界、の感はぬぐえません。沖縄では少なくなっている木の家で、いろいろいろいろ問題はあるとはいえ、住み心地は悪くないので、残念です。


家の中を見回します。

食器。職業柄、人のも含め、手作りの陶器がほとんどです。

なべ類。土鍋をはじめ、ほうろう鍋、フライパン、などなど必要最低限。まあまあかな。(鉄瓶は海が近いせいか錆びて底に穴が開いてしまいました。)

家具。
パソコンが載っている事務机と、小さな桐ダンスは祖父の遺品。特別上等なものではありませんが、がたつきもしないし狂いもない。趣もあって、立派に機能しています。この家より古いかもしれません。
ちゃぶ台は、夫が独身時代に入手した、何の変哲もない、可もなく不可もないもの。材質はなんだろう。特に気に入っているわけではありませんが十分使えるので使っています。
ひとつだけある本棚は、天然木で気に入っているけれど立て付けが悪い。
洋服収納は、プラスチックケースや杉の衣装ケース。プラスチックは好きではありませんが、軽さや可動性に負けて、かなりの数を買ってしまいました。引越しが多い今はやむをえないと思っています。杉の衣装ケース通販で買ったもので防虫・防臭効果などそこそこ良いですが、いかにも工業製品です。

問題は、合板の食器棚と、カラーボックス。
お金がないときにその場しのぎに買った食器や本の収納棚は、ほとんどが合板のものです。

ホルムアルデヒドぷんぷんの合板は好みでなく、なんとなく不満に思っていたところ、湿気が多く床が低いこの家にきたら、食器棚の一番下の引き出しに白いカビがびっしり生えてしまいました。この引き出しは使い物になりません。カラーボックスは、底のほうが剥がれてきています。
天然木の家具でもカビが生えることはありますが、勢いが違います。合板の構造にきっと問題があるのでしょう。

安い合板→使い捨てという構図がぼんやりと頭の中にあったにもかかわらず、当時はこの思いを打ち消して、目先の収納の必要性を優先して購入してしまいました。カラーボックスにいたっては、表面がめくれても、安いからと捨ててまた買いなおしたこともありました。
でも、最近思うのです。お皿や食べ物は作者や生産先こだわって選んでいるのに、その収納が安物の合板では首尾一貫していない。


と、いうわけで、週末は沖縄市で開催される「ウッデイグランドフェア」に出かけてみたいと思います。沖縄の木工クラフト工房が勢ぞろいするそうです。

コンランやイデー(これしか知らない)の高級輸入家具より、木工家さんが地元の材木を使って丁寧に制作した家具を選んで、地産地消しよう!といった考え方にここのところ入れ込んでいます。

すぐに購入とはいきませんが、めぼしをつけて、何年か後に合板家具を払拭する道筋をたてたい、と考えるわけであります。

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  第10回沖縄ウッディグランドフェア〜「森からの贈り物」
  11月10日木曜日から13日日曜日
  沖縄市プラザハウスショッピングセンターにて
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2005年11月02日

捨てられるごはん

日本人の平均米消費量は、年々減って去年一人63はキロ、という数字をニュースできき、驚きました。
我が家の場合、大人30キロ、子供15キロくらいと、意外と少ないのです。

朝はパン食、昼は麺類、夜はお米、というのが通常のパターンですから、家族でせいぜい一日1.5〜2合くらいしか食べません。穀類の大半は小麦粉に頼っていることになります。(手作りパン用の小麦粉はもちろん、うどんも原料が国産のものをなるべく選ぶようにはしています。)
米消費量が全体に減っているのも、小麦や、カロリーの高い肉などのおかずをより多く食べるようになっているからだそうです。

日本の食料自給率が低いことが気になって仕方ありません。自衛軍云々よりまず食糧問題が先決じゃない?と思います。食料自給率を上げるためには、まず農地を増やさなければならないそうです。自給率が100%で、休耕地が多く作ろうと思えばもっと作れるお米をたくさん食べれば、自給率のアップにつながると聞きました。

そこで、この数字を見て反省して、なるべく朝や昼にもごはんを取り入れようとか、残りごはんもパンやハンバーグに入れるなどして活用しよう、と米の消費量を増やす努力をここのところしています。


ところで、我が家のようにパン食・麺食の家庭、決して少なくないと思うのです。
一合約170グラムです。一日一合、ごはん2膳ほど食べて62キロの平均値。
育ち盛りの子供3人がいる家族で一日10合、という話も聞いたことはありますが、平均ですから育ち盛りも子供も老人も含まれるはずです。この60キロという数字、どうなのでしょうか。

旅行中、気になったのが、余ったごはんです。民宿の食事というのは、ごはんはお代わり自由、という不文律があるようで、足りなくなったらゆゆしき事態、とばかりにどこでも大量に炊いてありました。個別に部屋で食べさせるところなどは、一食ごとに炊飯器を部屋に持ってきてくれますが、とても食べきれる量ではありません。次の朝は当然のように新たに炊いたご飯が出てきて、こちらも大量です。残ったごはんをスタッフで食べきれるものなのか、疑問でした。いちど、気さくな民宿で、余ったお米でおにぎりをにぎらせてください、と思い切って頼んでみたところ、どうせ捨てるだけだからもっていきなさい、と快く承知してくれました。(おかずや箱までつけてくれ、立派なお弁当ができ、一食分浮いてとてもうれしかった)作ってみたら、残っていたのはちょうど家族の昼食分くらいの米の量でした。

たまたま手元にあった記事(「子供の健康宣言」第55号)河野修一郎=文)に、毎日新聞の特集で、コンビニの弁当や焼きそばなどが、毎日約300万食賞味期限切れによって廃棄されることが報道された、とありました。

こういう、「捨てられる米」が実は60キロのかなり大きなウェートを占めるのではないか、という気がしてなりません。

経済効率という大義名分のもとにいとも簡単に捨て去られてしまう、半分以上は輸入されてきた食料。

一方で、途上国では人口が増え続け、食料不足がどんどん深刻化しています。

自分の近くで獲れた食べ物をたべるのが体にも一番いい、という自然食の考え方にのっとっても、軍事的に弱点になりうるという観点からも、途上国に外貨稼ぎ用ではない、自分たちのための食べ物を作ってもらうためにも、即刻食料自給率向上に力をそそぐべきだ!と思う今日この頃です。

思わず力が入ってしまいました。

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