前回の更新から1ヶ月以上たっていると気づき、軽くショックです。
実は、京都展に出展する作品をアップしよう〜と思っていたころ、パソコンが故障してしまいました。起動しなくなってしまったのです。
通販でリーズナブルなPC本体を求め、手元に届くまでに数週間、データ類を整えるのにもさらに時間がかかってしまい、何人かの方にはご迷惑をおかけしてしまいました。
知人が親切に立ち回ってくださったおかげで近所にハードディスクの取出しなどをやってくださる方が見つかりデータ類は無事取り出せたのは本当に幸いでした!!これを機会にトラブルに備えようと硬く決意しています。
ちょっとパソコンにも詳しくなったし、思い切ってCPUのグレードを上げたらすごくさくさく動くので感激。懐は痛かったけれど、故障も悪いことだけでは無かったです。
ネットからしばらく離れていた期間は、欠乏感と開放感を味わいました。仕事でもプライベートでもいかにPCに依存した生活をしているか痛感し、ちょっと怖くなりました。
ご報告が遅くなりましたが、京都展では多くのお客様がいらしてくださったそうです。足をお運びいただいた皆さまにこの場をお借りして御礼申し上げます。
展示内容もそれぞれ好評だったようです。木工の佐藤さんが熱心に取り組んだ陶と木、愛と木のコラボ作品もとても良かったとのこと。私も見たかったです。
とりいそぎPC復旧のお知らせでした。
プロフィール
沖縄県大宜味村で陶芸工房を営んでいます。↓蛍窯HPもご覧ください!
ウェブサイトURL:http://www.ne.jp/asahi/hotaru/ym/
2007年12月09日
2007年11月03日
高江でUAチャリティーライブ
ヘリパッド問題に揺れる高江のカフェ「やまがめ」でUAのライブがありました。チケットの売り上げはヘリパッド建設反対運動の活動資金となる、チャリティーコンサートです。
世情に疎い私ですが、あの独特の雰囲気とすごい声が素敵だなと思っていて、最近ではピープルツリーのカタログで記事を読んだり、教育テレビの子供番組に出ているのを見かけたりしていたので、来ると聞いてちょっと興奮しました。
彼女自身は深い心の闇を経験し、それを乗り越えた今は自然の中での生活を重視しているらしく、高江に住むオーガニックライフの有名人、森岡尚子さんに会うために夏にこの地を訪れたときにヘリパッドの現状を知りショックを受け、ライブをしてくれることになったとのこと。
約300名が集まった山奥の決して広くはないスペースに設置された小さなステージ上では、彼女の一連の持ち歌や、最近研究しているという奄美の島歌、どんとのカバーなど、多彩なレパートリーが披露され、森に美しく響く、また森によく似合う歌声に酔いしれました。合間には高江の現状についてのディスカッションなどもUAをまじえてカジュアルに行われたり、一般客や地元ミュージシャンとのセッションもあり、距離感が近い素敵なイベントでした。
高江では7月にヘリパッドの工事着工が決定されてからずっと過酷な座り込みが続いています。島の反対側の出来事ですぐ近くだし、現に我が家の上空には「オスプレイ」がしょっちゅう飛行しているという状況にもかかわらず、私はといえば忙しい、体調が悪いなどいろいろ言い訳をみつけてはまだ2〜3回しか足を運べていない、それでいてUAが来ると聞いた途端に腰が軽くなったりして恥ずかしい限りなのですが、高江には行くたびに逆にパワーをもらってます。
国やアメリカという絶対的権力を目の前にして、「いらないものはいらない」と断固拒否し続けるカフェやまがめのオーナーをはじめとする反対運動のメンバー。現実には140人の集落のなかで反対運動に参加しているのは4〜5世帯しかいず、ほとんどが県内外からの移住者。地元の人からの冷たい視線にさらされるなどつらい思いもしているそうですが、地元には地元の事情があるのであって・・・。それでも、他人事ではないと感じる人が全県、全国、世界各地から集まって、平和を語り合う場になっています。絶望的な状況をプラスに変えてみせてくれている彼らに、今回もたくさんの元気をもらってきました。
高江のことは、ブログ「やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/」に詳しく載っているので、遠くて情報がないという方、気になるけどどう行動に移してよいかわからないというい方、ぜひ定期的にチェックしてみてください。
世情に疎い私ですが、あの独特の雰囲気とすごい声が素敵だなと思っていて、最近ではピープルツリーのカタログで記事を読んだり、教育テレビの子供番組に出ているのを見かけたりしていたので、来ると聞いてちょっと興奮しました。
彼女自身は深い心の闇を経験し、それを乗り越えた今は自然の中での生活を重視しているらしく、高江に住むオーガニックライフの有名人、森岡尚子さんに会うために夏にこの地を訪れたときにヘリパッドの現状を知りショックを受け、ライブをしてくれることになったとのこと。
約300名が集まった山奥の決して広くはないスペースに設置された小さなステージ上では、彼女の一連の持ち歌や、最近研究しているという奄美の島歌、どんとのカバーなど、多彩なレパートリーが披露され、森に美しく響く、また森によく似合う歌声に酔いしれました。合間には高江の現状についてのディスカッションなどもUAをまじえてカジュアルに行われたり、一般客や地元ミュージシャンとのセッションもあり、距離感が近い素敵なイベントでした。
高江では7月にヘリパッドの工事着工が決定されてからずっと過酷な座り込みが続いています。島の反対側の出来事ですぐ近くだし、現に我が家の上空には「オスプレイ」がしょっちゅう飛行しているという状況にもかかわらず、私はといえば忙しい、体調が悪いなどいろいろ言い訳をみつけてはまだ2〜3回しか足を運べていない、それでいてUAが来ると聞いた途端に腰が軽くなったりして恥ずかしい限りなのですが、高江には行くたびに逆にパワーをもらってます。
国やアメリカという絶対的権力を目の前にして、「いらないものはいらない」と断固拒否し続けるカフェやまがめのオーナーをはじめとする反対運動のメンバー。現実には140人の集落のなかで反対運動に参加しているのは4〜5世帯しかいず、ほとんどが県内外からの移住者。地元の人からの冷たい視線にさらされるなどつらい思いもしているそうですが、地元には地元の事情があるのであって・・・。それでも、他人事ではないと感じる人が全県、全国、世界各地から集まって、平和を語り合う場になっています。絶望的な状況をプラスに変えてみせてくれている彼らに、今回もたくさんの元気をもらってきました。
高江のことは、ブログ「やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/」に詳しく載っているので、遠くて情報がないという方、気になるけどどう行動に移してよいかわからないというい方、ぜひ定期的にチェックしてみてください。
2007年10月29日
京都展のご案内
せみがカンカン、30度近い沖縄から、
しっとりした京都での展示会のお知らせです。
「沖縄 やんばるの手仕事〜陶・藍・木〜」三人展

こちらもご覧下さい
→パンフレット表面拡大
→パンフレット裏面拡大
日時:2007年11月14日(水)〜18(日)
会場:東山・迦陵頻(かりょうびん)
京都市東山区下河原通八坂鳥居前下ル弁天町440-1
TEL:075-533-6662
アクセス:祇園八坂神社南門より南行き徒歩3分。東山高台寺より石掘小路を通りすぐ
時間:10:00〜18:00
7月のしゃしくまーるでご一緒した、
木工の佐藤さん・琉球藍染織の中村さんとの三人展です。
会場の「迦陵頻」の建物は、鶴田浩二さんや乙羽信子などの銀幕スターたちが常宿としていた京町家だとか。
京都は山上も学生時代をすごした思い出の地ですが、その京都のとてもいい季節に沖縄の風を感じてもらえるような展示会にしよう、と皆張り切っています。
迦陵頻さんでは、昨年の催しで偶然、親しくさせていただいている方の朗読会が行われたということも判明し、ただならぬご縁も感じています。
長らくごぶさたしている紅葉を見るのはちょっと厳しいかな、というところかもしれませんが、色々楽しみな京都です。
皆さまにお会いするのも楽しみにしています!!
しっとりした京都での展示会のお知らせです。
「沖縄 やんばるの手仕事〜陶・藍・木〜」三人展

こちらもご覧下さい
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日時:2007年11月14日(水)〜18(日)
会場:東山・迦陵頻(かりょうびん)
京都市東山区下河原通八坂鳥居前下ル弁天町440-1
TEL:075-533-6662
アクセス:祇園八坂神社南門より南行き徒歩3分。東山高台寺より石掘小路を通りすぐ
時間:10:00〜18:00
7月のしゃしくまーるでご一緒した、
木工の佐藤さん・琉球藍染織の中村さんとの三人展です。
会場の「迦陵頻」の建物は、鶴田浩二さんや乙羽信子などの銀幕スターたちが常宿としていた京町家だとか。
京都は山上も学生時代をすごした思い出の地ですが、その京都のとてもいい季節に沖縄の風を感じてもらえるような展示会にしよう、と皆張り切っています。
迦陵頻さんでは、昨年の催しで偶然、親しくさせていただいている方の朗読会が行われたということも判明し、ただならぬご縁も感じています。
長らくごぶさたしている紅葉を見るのはちょっと厳しいかな、というところかもしれませんが、色々楽しみな京都です。
皆さまにお会いするのも楽しみにしています!!
2007年10月24日
10月の句
からっとした最高に気持ちのいいお天気が続いています。
サシバが気持ちよさそうに空を舞っています。
夏と湿度の差があまりに激しいせいか、
夜になると柱がぱしぱし割れる音がします。
柱はそういうものらしいのですが、外に面した木製建具が
軒並み立て付けが悪くなってしまっています。
一度大工さんに見てもらわなければ。
さて、久々の俳句です。
3月以来です・・・。
秋晴れや靴紐も縛りよーいどん
獅子が舞い旗がたなびく運動会
腕枕童子の吐息と虫の声
サシバが気持ちよさそうに空を舞っています。
夏と湿度の差があまりに激しいせいか、
夜になると柱がぱしぱし割れる音がします。
柱はそういうものらしいのですが、外に面した木製建具が
軒並み立て付けが悪くなってしまっています。
一度大工さんに見てもらわなければ。
さて、久々の俳句です。
3月以来です・・・。
秋晴れや靴紐も縛りよーいどん
獅子が舞い旗がたなびく運動会
腕枕童子の吐息と虫の声
2007年10月18日
於銀座三越『松田美智子の道具展』に・・・
銀座三越にて開催中の『松田美智子の「理ある食卓」〜なべ好きの道具展』で、
螢窯が作った土鍋がアイテムのひとつとして展開されています。
料理研究家の松田さんのご要望にこたえた「オリジナル土鍋」です。


色は黒オンリーで、取っ手の形を半月形にし、ふたのつまみを低くしてあります。
このつまみの高さは、ふたを裏返して本体にのせたときにぴったり重なることでより収納しやすいように考えられています。うちの定番のままだとここが2〜3センチ浮きます。
鍋だけでなく、鍋まわりの器・道具、お取り寄せ食材などが紹介されているそうです。
土曜日には松田さんのトークショーもあるそうなので、ぜひのぞいてみてくださいね!
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
『松田美智子の「理ある食卓」〜なべ好きの道具展』
銀座三越 7階リミックススタイル
会期:10月16日(火)〜22日(月)
トークショー:10月20日(土)14:00
螢窯が作った土鍋がアイテムのひとつとして展開されています。
料理研究家の松田さんのご要望にこたえた「オリジナル土鍋」です。


色は黒オンリーで、取っ手の形を半月形にし、ふたのつまみを低くしてあります。
このつまみの高さは、ふたを裏返して本体にのせたときにぴったり重なることでより収納しやすいように考えられています。うちの定番のままだとここが2〜3センチ浮きます。
鍋だけでなく、鍋まわりの器・道具、お取り寄せ食材などが紹介されているそうです。
土曜日には松田さんのトークショーもあるそうなので、ぜひのぞいてみてくださいね!
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
『松田美智子の「理ある食卓」〜なべ好きの道具展』
銀座三越 7階リミックススタイル
会期:10月16日(火)〜22日(月)
トークショー:10月20日(土)14:00
2007年10月16日
月命日にキャンドルナイト

恥ずかしながら、月命日という概念を数ヶ月前に初めて知りました。
そこで、山上の父の月命日に楽しかったキャンドルナイトをやることにしよう、と決めました。
またまた恥ずかしながら、決めておきながら忘れがちなのだけど、
長男が「キャンドルだよ」と時々指摘してくれたり、
今月はカレンダーに大きく書き込んだこともあって、夏至以来の2度目を先日実行できました。
キャンドルナイトといっても夏至の日の縮小版という感じで、基本的には食事のあいだだけ。
それでも、電気を落とすとあたりの静けさがぐっと増すあの感覚は日常ではなかなか味わえない不思議なものです。
一本だけあるみつろうのろうそくが一番火力が強く、炎も美しく、うっとり。
そういえば、肝心の義父を思い出すってことをあんまりしなかったな・・・。
2007年10月13日
サシバ
「お母さん、おはよう。サシバ鳴いているよ」
サシバのことを書こうとパソコンに向かう私に、目を覚ました息子が話しかけてきました。
外の音にまったく無頓着でしたが、耳を澄ましてみると「ヒックィーイ、ヒックィーイ」とひっきりなしに鳴いています。いっぱいいるんだ!
サシバは、渡りの鷹の一種。沖縄に来て初めて名前をきいたときは、「ん?差し歯?」状態でしたが、本土にもいるんですってね。沖縄には多いので、鳥などに鈍感な私でも簡単に確認でき、季節の変わり目をわからせてくれる存在です。
2、3日前から上空を旋回しているのに気づき始めました。沖縄に来て4年目の秋ですが、気づいたのは今年が一番早いような気がします。サシバが飛来すると、秋なんだなあと実感します。まだ日中は30度以上になるし、せみはじーじーカンカン(←オオシマゼミ。11月になるとなおやかましくなる気がする)さかんに鳴いているけれど、風もミーニシ(=北よりの季節風)が吹きはじめ、空気もからっとした感じ。水温も低下して魚も動きが活発になり、釣り人にもうれしい季節なのだとか。
暑さやら引越しやらで、せわしなく気分的にもどことなく停滞モードでしたが、ひさしぶりに気力が充実してきましたよ。
サシバのことを書こうとパソコンに向かう私に、目を覚ました息子が話しかけてきました。
外の音にまったく無頓着でしたが、耳を澄ましてみると「ヒックィーイ、ヒックィーイ」とひっきりなしに鳴いています。いっぱいいるんだ!
サシバは、渡りの鷹の一種。沖縄に来て初めて名前をきいたときは、「ん?差し歯?」状態でしたが、本土にもいるんですってね。沖縄には多いので、鳥などに鈍感な私でも簡単に確認でき、季節の変わり目をわからせてくれる存在です。
2、3日前から上空を旋回しているのに気づき始めました。沖縄に来て4年目の秋ですが、気づいたのは今年が一番早いような気がします。サシバが飛来すると、秋なんだなあと実感します。まだ日中は30度以上になるし、せみはじーじーカンカン(←オオシマゼミ。11月になるとなおやかましくなる気がする)さかんに鳴いているけれど、風もミーニシ(=北よりの季節風)が吹きはじめ、空気もからっとした感じ。水温も低下して魚も動きが活発になり、釣り人にもうれしい季節なのだとか。
暑さやら引越しやらで、せわしなく気分的にもどことなく停滞モードでしたが、ひさしぶりに気力が充実してきましたよ。
2007年10月04日
小学校運動会
日曜日は小学校の運動会でした。去年は、地域の結束があってこその、小さな村の大きな運動会に大感動したものでした。(去年の記事)
今年は各種目にスポットを当ててみようと思います。
・「同窓生リレー」。
学校の卒業生が年次ごとに競うリレーです。
中学生から始まり、だんだん年代が上がり、最高齢は23年チーム。昭和23年生まれ、つまり今年還暦の方々です。28年は2チームも組まれていました。毎年この競技に照準を合わせてくる人もいるそうで、とくに23年対28年の勝負はかなり真剣でした。校長先生は23年チームのアンカー。60歳ですよ・・・負けそう・・・というか完全に負けています。現役の全校生徒40人よりはるかに多い人数が出場していました。
・老人会によるゲートボール
暖かい時期には毎夕集まって各部落で精進しているおじぃおばぁたちによるゲートボールリレー。こちらも全校生徒より多そうでした。
・中学生のフォークダンス
エイサーに友情出演したり来賓を接待したり、卒業生の中学生は例年役割が課されているほか、リレーもあるし、このフォークダンスも仲良く手をつないで踊ります。今の時代、ちゃんとこうしたイベントにでてくるというのは珍しいですよね。ところでこのフォークダンス、沖縄では何十年も前からすべての中高で「青い山脈」と「オクラホマ・ミキサー」を踊ることになっていて、大人になってからも曲をかけるとみな踊れるのだとか。(ほかにも、120年の伝統を誇る当校の校歌ダンスと、なぜか「きらきらぼし」のダンスは、伝統的にずっと変わらず踊られているらしく、28年生まれの人も昔踊ったと言っていました)
都会では、アルバイト学生を雇ってビデオを撮らせ、親はゆっくり見るとか、そのビデオ席の確保が大変だとかききましたが、どこでもそうなのでしょうか。それと、おじいちゃんおばあちゃんが運動会に来るというのは沖縄だけかと思っていたら全国各地そうなんですか!?私も山上もじじばばに来てもらった思い出はないし、今でも両実家ともまったく興味を示しません。
今年は各種目にスポットを当ててみようと思います。
・「同窓生リレー」。
学校の卒業生が年次ごとに競うリレーです。
中学生から始まり、だんだん年代が上がり、最高齢は23年チーム。昭和23年生まれ、つまり今年還暦の方々です。28年は2チームも組まれていました。毎年この競技に照準を合わせてくる人もいるそうで、とくに23年対28年の勝負はかなり真剣でした。校長先生は23年チームのアンカー。60歳ですよ・・・負けそう・・・というか完全に負けています。現役の全校生徒40人よりはるかに多い人数が出場していました。
・老人会によるゲートボール
暖かい時期には毎夕集まって各部落で精進しているおじぃおばぁたちによるゲートボールリレー。こちらも全校生徒より多そうでした。
・中学生のフォークダンス
エイサーに友情出演したり来賓を接待したり、卒業生の中学生は例年役割が課されているほか、リレーもあるし、このフォークダンスも仲良く手をつないで踊ります。今の時代、ちゃんとこうしたイベントにでてくるというのは珍しいですよね。ところでこのフォークダンス、沖縄では何十年も前からすべての中高で「青い山脈」と「オクラホマ・ミキサー」を踊ることになっていて、大人になってからも曲をかけるとみな踊れるのだとか。(ほかにも、120年の伝統を誇る当校の校歌ダンスと、なぜか「きらきらぼし」のダンスは、伝統的にずっと変わらず踊られているらしく、28年生まれの人も昔踊ったと言っていました)
都会では、アルバイト学生を雇ってビデオを撮らせ、親はゆっくり見るとか、そのビデオ席の確保が大変だとかききましたが、どこでもそうなのでしょうか。それと、おじいちゃんおばあちゃんが運動会に来るというのは沖縄だけかと思っていたら全国各地そうなんですか!?私も山上もじじばばに来てもらった思い出はないし、今でも両実家ともまったく興味を示しません。
2007年09月21日
新築祝い
沖縄の田舎では、節目節目に大きなお祝いをする習慣が残っています。
たとえば子供に関していえば、生まれたとき、その子が1歳になったとき、小学生に上がるとき、高校に合格したとき、成人式。年取ってからは長生きのお祝いもいくつかあります。こういうときは、大勢いる親戚や、隣人・知人が集まって大騒ぎするのがならわしのようです。
なかでも「新築祝い」というのは一番大きいお祝いの部類に入るとのこと。
でも移住民のわれわれはやらなくても・・・なんて思っていたら、家がまだ工事中のころから、いつもお世話になっている地域の方が、新築祝いはいのしし汁を炊くし刺身も用意してやるからいつやるか、と話を持ちかけて下さいました。(もちろんいのししも魚も自ら捕ったものです。)そのほかにもいろいろな人が、新築祝い呼んでね〜と声かけしてくれます。なるほどこういうものなのかとお祝いしたい気持ちが大きい(&パーティ好きな)人たちが多いことに感心です。
ということで、先日行いました。
当日は朝からいのしし汁と刺身の仕込みにきてくれ、会場のセッティングなども進んでやってくれました。前日は午前3時まで魚釣りをねばってくれたそうです!!奥さんたちや友達も手伝いに来てくれ、感謝です。
夕方からは地域の人、学校関係、遊び仲間などが続々と来てくれました。なかには遠くから駆けつけてくださった方も数名いましたし、山上の兄&その息子くんも、親族代表としてやってきてくれ、沖縄の方式に少しだけでも倣うことができました。
お客様にはまず、出来立ての家の中を見てもらってから、庭に設置してある宴会場でご馳走を食べてもらう、という流れだということが、やりながらなんとなくわかってきました。
宴会では地元の人たちがこちらの知人にも話しかけてくれたりして、楽しい会になったようでした。
宴の最中は友人たちが進んで接待や皿洗いなどを引き受けてくれ、大助かりです。おかげで、片付けも思ったよりスムーズに運び、翌日の疲れも思ったほどではありませんでした。
こうしたお祝い事を無事終えると、家が建ったという感慨もひとしおです。
会に駆けつけてお祝いを持ってきてくださったみなさんはもちろん、土地の斡旋その他に奔走してくれた地元の方たち、金銭面で援助をしてくれた両親や親戚、一生懸命工事をしてくれた業者の方たち・・・家作りに当たって本当にたくさんの人たちにお世話になりました。
沖縄に来て3年が過ぎましたが、人々の善意のおかげで生活できていることを肝に銘じて、浮かれず堅実に気を引き締めて行きたいと思います。
ちなみに、2005年2月には仕事場完成のお披露目会をやってやはり地域の方や友人に大勢集まってもらったのですが、終わってほっと一息ついたのもつかの間、その翌日に大事件が起きたのでした。もう忘れかけていたけど、あの時は本当に大変だった・・・。
今回も何かあるだろうな、と覚悟していたら、当日夜、次男がインフルエンザを発症。その余波は今も続いています。
大きな出来事があったあとは仕方ないと今回は腹をくくっています。
たとえば子供に関していえば、生まれたとき、その子が1歳になったとき、小学生に上がるとき、高校に合格したとき、成人式。年取ってからは長生きのお祝いもいくつかあります。こういうときは、大勢いる親戚や、隣人・知人が集まって大騒ぎするのがならわしのようです。
なかでも「新築祝い」というのは一番大きいお祝いの部類に入るとのこと。
でも移住民のわれわれはやらなくても・・・なんて思っていたら、家がまだ工事中のころから、いつもお世話になっている地域の方が、新築祝いはいのしし汁を炊くし刺身も用意してやるからいつやるか、と話を持ちかけて下さいました。(もちろんいのししも魚も自ら捕ったものです。)そのほかにもいろいろな人が、新築祝い呼んでね〜と声かけしてくれます。なるほどこういうものなのかとお祝いしたい気持ちが大きい(&パーティ好きな)人たちが多いことに感心です。
ということで、先日行いました。
当日は朝からいのしし汁と刺身の仕込みにきてくれ、会場のセッティングなども進んでやってくれました。前日は午前3時まで魚釣りをねばってくれたそうです!!奥さんたちや友達も手伝いに来てくれ、感謝です。
夕方からは地域の人、学校関係、遊び仲間などが続々と来てくれました。なかには遠くから駆けつけてくださった方も数名いましたし、山上の兄&その息子くんも、親族代表としてやってきてくれ、沖縄の方式に少しだけでも倣うことができました。
お客様にはまず、出来立ての家の中を見てもらってから、庭に設置してある宴会場でご馳走を食べてもらう、という流れだということが、やりながらなんとなくわかってきました。
宴会では地元の人たちがこちらの知人にも話しかけてくれたりして、楽しい会になったようでした。
宴の最中は友人たちが進んで接待や皿洗いなどを引き受けてくれ、大助かりです。おかげで、片付けも思ったよりスムーズに運び、翌日の疲れも思ったほどではありませんでした。
こうしたお祝い事を無事終えると、家が建ったという感慨もひとしおです。
会に駆けつけてお祝いを持ってきてくださったみなさんはもちろん、土地の斡旋その他に奔走してくれた地元の方たち、金銭面で援助をしてくれた両親や親戚、一生懸命工事をしてくれた業者の方たち・・・家作りに当たって本当にたくさんの人たちにお世話になりました。
沖縄に来て3年が過ぎましたが、人々の善意のおかげで生活できていることを肝に銘じて、浮かれず堅実に気を引き締めて行きたいと思います。
ちなみに、2005年2月には仕事場完成のお披露目会をやってやはり地域の方や友人に大勢集まってもらったのですが、終わってほっと一息ついたのもつかの間、その翌日に大事件が起きたのでした。もう忘れかけていたけど、あの時は本当に大変だった・・・。
今回も何かあるだろうな、と覚悟していたら、当日夜、次男がインフルエンザを発症。その余波は今も続いています。
大きな出来事があったあとは仕方ないと今回は腹をくくっています。
2007年09月16日
新居について
子供は二人ですが、われわれの住む地域では高校から家を出て寮生活をする子も多いということもあり、コスト面も考慮し、一人一部屋ということは考えず、子供部屋一間、大人部屋一間、それにダイニング&リビングというごくこじんまりとした家を建てました。
沖縄では圧倒的にコンクリートの家が多いのですが、どうしても木の家にしたい、ということで、本当なら地元の業者さんに頼みたかったのですが、遠い那覇の業者さんに依頼しました。意外なことに、このあたりで建つ家はほとんどがコンクリートなので、ノウハウがないそうなのです。この那覇の建築やさんは母体が材木やさんで、国産材を推奨している点など私たちの好みにぴったり。そして、現場担当の男の子が若いのに志もしっかりしていてとても機転が利いたおかげで、あらゆるものごとがひじょうにしっくり行きました。
ものつくり仲間には自分で家を作ってしまう器用な人がたくさんいるので、やってみたいな〜という思いはありました。あるいはハーフビルドといって、基礎部分は建築業者にお願いして、あとの請負、つまり各業者さんに指示を出す部分は自分でやってコストを抑えるというスタイルも考えました。が、根性もなく、ごく一部自分たちで請負という形にしてもらって、ほぼ全面的に注文住宅となりました。建築やさんは非常に良心的に取り組んでくださったと思っています。
今まで借りてすんでいたところは、昔ながらの木の沖縄の家で、屋根が低くてひさしが長いので強い日光や雨が家に入るのを防ぐなど合理的な面もあったしやはり雰囲気がいかにも沖縄らしく、気に入ってはいました。しかし、何せ古い。古いということは、あちこちガタが来ているということでもあり、現代人の生活に合わない(天井が低い、キッチンの使い勝手が悪いなど)ということでもあります。そして、奥の部屋は床がべこべこで使えなかったので、とても狭かった。いつかは自分の家を、という気持ちがあって修理は必要最低限にした結果、2年以上も不便な思いをすることになってしまいました。
ところがこの家に住んだおかげで、空気が通る木造のよさを確信しましたし、今の家に移って、トイレが水洗になってしかも家の中にあるとか、天井が高いとか、広いとか、床が固いとか、キッチンが使いやすいとか、ささやかな設備にもかかわらずいちいち感動できています。引っ越す直前は、早く移りたいはやる気持ちがあって「こんな家」なんて思ってしまう瞬間も多かったのですが、こういうところに住まわせてもらったことに対し感謝の気持ちを忘れずにいないよう気をつけたいです。
前の家では、あちこちで補修に使われていたコンパネやベニヤが年数が経ってぼろぼろになっていて、天井から猫やごみは落ちたりして耐久性のなさを目の当たりにしたので、今度の家では合板の類を極力使わないことにこだわりました。建築やさんは、今の合板は質がいいから長持ちする、というのですが、20年先のことはわかりません。前の家でも木で作ったところはしっかりしていましたから、木に固執しました。なので、内壁外壁床はもちろん、ベニヤやコンパネを使うことが多い押入れ内部や野地板(屋根材の下地)にも杉板を使いました。面が広い合板に比べ、板は細いので大工さんの手間が大変でしたが、押入れなどはわざわざ杉や桐の収納ボックスを買って湿気に対応していたくらいなので、カビや湿気対策にはずいぶん有効なのではないかと思っていて、とても気に入っています。野地板には厚さ3センチの足場板を使い、断熱効果も考慮されています。(ちなみに屋根材は一番安いコロニアルという材質です。断熱性にも優れる憧れの赤瓦はやっぱり高かった)

上のほうで気持ちよさそうに泳いでいるのは、チューマさん作のウミカメの時計。前の家からわれわれの時を刻んでくれています。
建具も、サッシは浴室だけで、あとはすべて木製にしました。栃木で木製建具にした友人はとても高かったと言っていたので無理かなと思ったのですが、なぜかこちらではサッシとさほど変わらない値段でした。雨戸はルーバータイプを提案してくれました。ルーバーは雨を防ぐ点では普通の雨戸に劣りますが、雨や日光を遮りながら通気性も得られるので、これはナイスアイデアでした。
木製建具を使うところは今はめったにないそうで、大工さんたちも取り付けに苦労しているようでした。

壁は前にも言いましたが自分たちで漆喰を塗りました。私も塗りましたが、7月の一番暑いときで、漆喰は重くて私にはかなり重労働でした。二人でまるまる2週間くらいかかってしまいましたから、家を全部自分で作る人って本当にすごいです。また大工さんたちも、毎日どんな気候でも重労働をこなしているのだから、頭が下がります。(しんどそうな顔をして漆喰を塗っていたら、逆に飲み物やアイスを差し入れてくれる、やさしい大工さんたちでした。)
仕上がりは素人なのでそれなりですが、一部でも自分たちで手を入れたと実感できるので満足です。
床と柱には蜜蝋ワックスを塗りました。着色もしていないので、ウレタン塗装などと比べると格段に汚れがつきやすく、床はすでに新築とは思えないような状態ですが、年を経れば味が出てくる・・・はず。これも自分たちで塗りました。こちらは意外と簡単です。

畳は、山上のたっての願いで縁なしのものにしました。い草は「琉球ビーグ」と呼ばれる沖縄産のもので、普通のい草より太くて丈夫だとか。縁なしの畳を「琉球畳」というのだと栃木にいたころから聞いていたのですが、それは内地での言い方なのか、こちらでは地元の人は縁なしの畳を「見たことがない」というし、謎です。でもとにかく、新品の畳は私にとっては覚えている限りはじめての経験なので、匂いをかぐたびに幸せがこみ上げてきます。
木に囲まれているからか、天井が高いからか、冷房なしでもとても涼しいことには驚きます。ただし場所柄湿気はすごいです。

今度の場所からは仕事場が見えます。下には小さな川が流れています。

庭からの景色。環境的には栃木のときと似通っているから不思議です。
皆様のお越しをお待ちしていま〜す!
沖縄では圧倒的にコンクリートの家が多いのですが、どうしても木の家にしたい、ということで、本当なら地元の業者さんに頼みたかったのですが、遠い那覇の業者さんに依頼しました。意外なことに、このあたりで建つ家はほとんどがコンクリートなので、ノウハウがないそうなのです。この那覇の建築やさんは母体が材木やさんで、国産材を推奨している点など私たちの好みにぴったり。そして、現場担当の男の子が若いのに志もしっかりしていてとても機転が利いたおかげで、あらゆるものごとがひじょうにしっくり行きました。
ものつくり仲間には自分で家を作ってしまう器用な人がたくさんいるので、やってみたいな〜という思いはありました。あるいはハーフビルドといって、基礎部分は建築業者にお願いして、あとの請負、つまり各業者さんに指示を出す部分は自分でやってコストを抑えるというスタイルも考えました。が、根性もなく、ごく一部自分たちで請負という形にしてもらって、ほぼ全面的に注文住宅となりました。建築やさんは非常に良心的に取り組んでくださったと思っています。
今まで借りてすんでいたところは、昔ながらの木の沖縄の家で、屋根が低くてひさしが長いので強い日光や雨が家に入るのを防ぐなど合理的な面もあったしやはり雰囲気がいかにも沖縄らしく、気に入ってはいました。しかし、何せ古い。古いということは、あちこちガタが来ているということでもあり、現代人の生活に合わない(天井が低い、キッチンの使い勝手が悪いなど)ということでもあります。そして、奥の部屋は床がべこべこで使えなかったので、とても狭かった。いつかは自分の家を、という気持ちがあって修理は必要最低限にした結果、2年以上も不便な思いをすることになってしまいました。
ところがこの家に住んだおかげで、空気が通る木造のよさを確信しましたし、今の家に移って、トイレが水洗になってしかも家の中にあるとか、天井が高いとか、広いとか、床が固いとか、キッチンが使いやすいとか、ささやかな設備にもかかわらずいちいち感動できています。引っ越す直前は、早く移りたいはやる気持ちがあって「こんな家」なんて思ってしまう瞬間も多かったのですが、こういうところに住まわせてもらったことに対し感謝の気持ちを忘れずにいないよう気をつけたいです。
前の家では、あちこちで補修に使われていたコンパネやベニヤが年数が経ってぼろぼろになっていて、天井から猫やごみは落ちたりして耐久性のなさを目の当たりにしたので、今度の家では合板の類を極力使わないことにこだわりました。建築やさんは、今の合板は質がいいから長持ちする、というのですが、20年先のことはわかりません。前の家でも木で作ったところはしっかりしていましたから、木に固執しました。なので、内壁外壁床はもちろん、ベニヤやコンパネを使うことが多い押入れ内部や野地板(屋根材の下地)にも杉板を使いました。面が広い合板に比べ、板は細いので大工さんの手間が大変でしたが、押入れなどはわざわざ杉や桐の収納ボックスを買って湿気に対応していたくらいなので、カビや湿気対策にはずいぶん有効なのではないかと思っていて、とても気に入っています。野地板には厚さ3センチの足場板を使い、断熱効果も考慮されています。(ちなみに屋根材は一番安いコロニアルという材質です。断熱性にも優れる憧れの赤瓦はやっぱり高かった)

上のほうで気持ちよさそうに泳いでいるのは、チューマさん作のウミカメの時計。前の家からわれわれの時を刻んでくれています。
建具も、サッシは浴室だけで、あとはすべて木製にしました。栃木で木製建具にした友人はとても高かったと言っていたので無理かなと思ったのですが、なぜかこちらではサッシとさほど変わらない値段でした。雨戸はルーバータイプを提案してくれました。ルーバーは雨を防ぐ点では普通の雨戸に劣りますが、雨や日光を遮りながら通気性も得られるので、これはナイスアイデアでした。
木製建具を使うところは今はめったにないそうで、大工さんたちも取り付けに苦労しているようでした。
壁は前にも言いましたが自分たちで漆喰を塗りました。私も塗りましたが、7月の一番暑いときで、漆喰は重くて私にはかなり重労働でした。二人でまるまる2週間くらいかかってしまいましたから、家を全部自分で作る人って本当にすごいです。また大工さんたちも、毎日どんな気候でも重労働をこなしているのだから、頭が下がります。(しんどそうな顔をして漆喰を塗っていたら、逆に飲み物やアイスを差し入れてくれる、やさしい大工さんたちでした。)
仕上がりは素人なのでそれなりですが、一部でも自分たちで手を入れたと実感できるので満足です。
床と柱には蜜蝋ワックスを塗りました。着色もしていないので、ウレタン塗装などと比べると格段に汚れがつきやすく、床はすでに新築とは思えないような状態ですが、年を経れば味が出てくる・・・はず。これも自分たちで塗りました。こちらは意外と簡単です。

畳は、山上のたっての願いで縁なしのものにしました。い草は「琉球ビーグ」と呼ばれる沖縄産のもので、普通のい草より太くて丈夫だとか。縁なしの畳を「琉球畳」というのだと栃木にいたころから聞いていたのですが、それは内地での言い方なのか、こちらでは地元の人は縁なしの畳を「見たことがない」というし、謎です。でもとにかく、新品の畳は私にとっては覚えている限りはじめての経験なので、匂いをかぐたびに幸せがこみ上げてきます。
木に囲まれているからか、天井が高いからか、冷房なしでもとても涼しいことには驚きます。ただし場所柄湿気はすごいです。

今度の場所からは仕事場が見えます。下には小さな川が流れています。

庭からの景色。環境的には栃木のときと似通っているから不思議です。
皆様のお越しをお待ちしていま〜す!

